学生時代はブログでストレス全部発散してたところある。多分友人しか知り得ない古のやつ。今はもうサーバーがないやつ。
今はブログの代わりといったらなんだけどVlogとかYouTuberさんめっちゃやってるよね。ASMRの配信者の方とかでもたまに見る。生活感見るの好きなんだ〜。好きなYouTuberさんはここでは言いませんが、はじめしゃちょーとかあそこまで有名な人ではないしファンがパリピみある感じでもないと思う。あ、いや、ちょっとパリピみある人はいる。
ここまで日常ぽい書き出しになってしまって申し訳ないんだけど、違うんだよ伽藍に落ちてについて書こうと思ってたんだけどね なんかちょっと書き出しの趣旨がズレすぎてしまったなどうしような
ブログといえばさ、伽藍に落ちてでナヒーダが童話にして暗号化して残してたスカラマシュの記憶の感じ、なんか媒体がブログっぽくていいなと思ってた記憶ある。ナヒーダの通常攻撃がキャプチャだったりデリートだったりするのは周知の事実だと思うんだけど、それも相まって余計デジタルっぽい。好きだ。癖。
原神の世界樹に残ってるテイワットの人々が世界樹においてはデータも同然なのなんかいいよね。カーンルイアという禁忌の知識インターネットウイルスに感染しちゃったからマハールッカデヴァータが私を忘れてくれますように…てしたんだもんね。博士がまだ残機1だけどその残機1が怖いんだよね、誰かわかって
放浪者はやっぱ博士に復讐というか、報復というか、するのかな〜
なんかこう、カップリング的意図はないんだけど、それより先に万葉と邂逅しそうじゃない?と思う。因縁だし…なんか放浪者からは一方的に万葉が認知されてるし…私の願望込みだけどもなんか…放浪者にはすこやかに過ごしてほしい 放浪者が今この時平和に生きててくれていれば後もう何にも要りませんみたいな精神で伽藍に落ちてやってたよ
私伽藍に落ちて マジでめっちゃ好きだよ 多分みんなが想定してるよりも好きだよ
スカラマシュは世界樹のあるあそこで真実を知って追い詰められて自分を滅してしまったわけではなく、元々スカラマシュという存在は傾奇者が追い詰められて→スカラマシュ になったんだと思う。だからあそこの展開は知るべき真実なんだけど同時にダメ押しでもあったんだよね
傾奇者もスカラマシュも、求めていたものは案外近くにあった というオチがこれ書きながら涙ぐむほど好きなんだよね。自分にとって本当に必要な大切なものって、見えないんだよね。当たり前すぎて。スカラマシュにとってはあたりまえに心がそこにあった。だから目に見えなかったし、形あるものだと思ってたというのがさ、切ないよね。切なくてかすかにあったかいのは丹羽の鼓動かなと思うわけですよ 名言ですよね 『お主は人形などではない 心臓がひとつ少ないだけなのだ』って。それは傾奇者がたたら砂を救おうと丹羽の心臓を身にいれて尽くしたことで そこにもう鼓動はあるんじゃないかと私は思うよ
Souさんの『灰カラ』もすごくすごく当時は泣きながら聴いてた思い出ある
あーもうタイトル変えようかな変えちゃおロースしたろかな いやこのままオチつけてみせたい古にブログ書いてたオタクだから
放浪者の首飾り(ナヒーダが記憶をブチ込んだ部分)って放浪者自身の記憶媒体っぽんですよね。出典不明なので申し訳ないんだけど。でもそれって普通に傾奇者としてもスカラマシュとして生きた記録が含まれてるわけで。これらは私の解釈なんだけど、傾奇者もスカラマシュもいなくなったわけじゃないと思うんだ。いなくなってなんかない。伽藍に落ちてで放浪者が最後まで放浪し切らなければ、傾奇者はスカラマシュは放浪者になれなかった。放浪者としてここで終わるわけにはいかないと差し出して掴んだ手のひらの先はスカラマシュである自分自身だった。それは下から放浪者を掴んでいたスカラマシュも一緒。
傾奇者から始まって、スカラマシュが始めた物語は、やっぱり君たちがいないと放浪者は放浪者になれなかったよと思うんです。そうでなければそも伽藍に落ちることはなかったんだ。そこで彼らはずっと放浪者の中で脈動している。