はじめに
これは一四〇が常々好きだな……と思っていることを書き散らしているだけの記事だぞ!
有益な話は一ミリもないぞ!
一四〇は文章を書くのが、下手だぞ!!
生姜湯がうまい。
本題
認識の話が好きなんですよ。
例えば
同じ物体を「赤色である」と言った2者の認識は果たして同じものであると断言できるのか。
Aにとっての「赤」がBにとっての「青」だった場合、両者はその違いに気づけるのか。
Bが見ているものがAにとっての「青」だとしてもBにとってはそれこそが「赤」である。
これは視覚における話だが、他の感覚においても同じように考えることができる。
っていう話とか、
物の成り立ちについて、普通は
「ものが存在して→人間がそれを認識→名前を付ける」
と人は考えるが実際には逆で、
「名前があって→人間がそれを使って認識して初めて→ものがそこに存在する」
のではないか?
っていう話とか。
前者を「逆転クオリア」、後者を「唯名論(と実念論)」って言うらしいけどもまあ難しいことは置いといて。(というか感覚でしゃべっているのであんまり突っ込まれると私が普通にあわあわします)(馬鹿)
「世界」という言葉、概念を作ったのが人間である以上、その「世界」の全ては人間の認識によって成り立っていて、なのに人間は全て同一ではなく、個としてバラバラに存在するから互いの認識について正確に理解することはできない。
「解明されない未知」でとても良い。
ロマンだね。
▼「人間の定義した「世界」は人間の認識できる範囲で成り立っている話。
その昔、「魚だって昔人間の言葉を話したかもしれない」って話をしたときに「魚の身体構造的に有り得ない」って言われたことがあって。
でも言ってしまえばその「構造」って人間が定義したもので。
「魚のこの部分はこういう機能を持っていて、こういう働きでその生命を保っている。」
全部人間(と人間が定義したもの)が経験(と定義したもの)と研究(と定義したもの)で「そうなっている」としたもので。
じゃあ可能性は否定できないのでは?みたいなね。
でもその考えでいくと「人間の言葉を話す魚」は人間が定義する「魚」とはたして同等なのか?
人間の定義する「魚」が人間の定義したものすべてで構成され、「魚」と名付けられてるとするならば確かに「人語を解す魚」というものは(人間がこれはこうと定義づけた)「魚」の構造的に”有り得ない”のでは?
それは「魚」ではなくまた別の名称が与えられるものなのでは?
そんな感じでこちゃこちゃ考えるの、好き。
ちなみにこれを友人に話すと「それもうどうしようもなくない?」と言われます。そうです。全てを無に帰すタイプの思考です(?)
全てを無に帰してしまう考えなので実際に使おうと思ったら(?)ある程度「未知でない部分」を作るとかちゃんと色々考えなくちゃいけない気がするんだけどこれは思考で遊んでいるだけなので別にいいのだ。ノーカン!ノーカン!!
小さい頃、よく
「地球にいる人間が火星に生物が住めるわけがない!と言うのと同じように、火星人は地球に生物が住めるわけがない!と思っているかもしれない」
って考えて遊ぶのも好きだったな。
さっき書いた「ある程度「未知でない部分」を作る」(今現在人間が「そうである」としたものを一部そのまま確定させている)に関して、この話で考えると、
【火星人は地球人と同じように思考する(地球の人間と同じように周りの物を「生物」「星」というように定義づけている)】っていうのは確定しているものとして一旦スルーして、
【地球人、火星人それぞれが考える生物の生息条件】に関しては認識が異なっているのではないか?(人間の考えている「生物の生息条件」外で生きられる生物がいるんじゃないか?その生物からしてみれば「人間の考えている生物の生息条件」こそが「生息不可の条件」となりうるのではないか?)
っていう感じなのかな、わからんな。
とりあえず人間の認識する世界というものがあって、その外側にまだ何かあるかもしれない、っていうのがね、すごく好きなんですね。
▼それはそれとして。
昔の吸血鬼とか、人魚とかが現代の知識で「もしかしてあの病気だったのでは……?」ってなるのも好きです。矛盾しとらんか?いいや、していない(反語)
経験知識と可能性は共存できるからね。多分。
そしてもしかしたらこの「あの”病気”だったのでは?」も数百年後、数千年後には「この”現象”だったのでは?」になっているかもしれない。
そう考えると吸血鬼とか人魚とかは確かにあの時代に存在した「かもしれない」よね。
こうやって繋げて繋げて「かもしれない」を量産するの、楽しいよね。
ね~。
結論?
そろそろ書いててわけわかんなくなってきたのでこの辺でやめます。(あたまよわよわ)
突き詰めると着地点が「めちゃくちゃ人間が好き」になる可能性もある気がしてきたこの話。
人間の認識、人間が定義したもの、それを絶対と信じて疑わない人間、人間の想像力、創造力、思想で対立する人間、ありもしないものを見る人間、本当にそこには何もないのか?
好きだ~~~~~~~~~~~~~~~