東京の歩道を走る自転車が嫌いだ。
狭い道を猛スピードで駆け抜けられると危ない。普通に歩道を歩いているだけなのに、後ろから邪魔だと言わんばかりにベルをガチャガチャ鳴らされると少し苛ついてしまう。だから道を歩く時はいつも気を抜けない。
しかし自転車に乗っている人たちは大抵Uberのリュックを背負っているので、まあ仕方ないかなと思っている。彼らは時間に追われているのだろう。
労働も嫌いだ。
急な打ち合わせが入れば慌ただしく会社を出て、分単位で乗り継ぎを考えて顧客先に向かう。夏は暑く、冬は寒いスーツを着て一生懸命顔に粉をはたく。鳴り響くコール音に急かされる。月末は健康保険料と住民税の高さにうんざりして溜息を吐くし、週明けになると暗く淀んだ会社の雰囲気に心が軋む。周囲から下される冷酷な比較にも耐え忍ばなければいけない。
会社で働くことが好きですなんて人はあんまりいないだろう。私だけが「嫌だ」と思ってるんじゃなくて、金のために仕方なく働いている人が多いはずだ。
金のために働かなければならないが、こんな生活をこれから先も続けていくと思うとほとほと嫌になる。
狭苦しい電車に詰め込まれ、道もゆっくり歩けず、常に時間に追われている。自分の心が少しずつ、確実にすり減っていくのを感じている。これだけ頑張って得られるものは何なのだろうか? 金銭よりも自分の時間を優先するという中国の寝そべり族たちに共感してしまう。
社会に出てそれなりの年月が経ったが、忙しなく働いて贅沢するというスタイルは自分には合わなかった。スマホをいじっていると綺羅びやかなものばかり目に入ってくるけれど、私はそれに憧れを感じない。
高いブランド物がほしい訳でも海外に旅行したい訳でもないから、一生懸命働いて金を稼ぐよりは、ゆったりのんびり生きていきたいなあと思う。
人間の幸せってなんだろう。
周囲と比較をしなければ、人間は簡単なことで幸福感を得られるのではないかというのが私の考えである。
天気のいい日に外に出て、ゆったり本を読んだり犬を眺めたりしたい。自分のために時間をかけて料理を作りたい。花壇や気になる店を見ながら道を歩きたい。誰からも急かされたり馬鹿にされることなく、自分だけの時間を心ゆくまで楽しみたい。
私はそれだけで幸せになれる。
贅沢はいらない。豊かな自然と心の余裕さえあればいい。シンプルな幸せを大切にしながら生きていきたい。