僕は会社の教育環境で凄い人が生まれないが、教育環境で凄い人が辞めるとは思っている。そして教育環境で優秀な人が凡庸になると思っている。
Wattでは、凄い人がワークしたい環境を作り、優秀な人が優秀なまま居られる環境を作れるかを考えている。
まずシード期の凄い人の定義は、目的にあわせた手段の自由選択と手数の多さと執着心と定義している。これを教育で作ることは難しく、こういった人は基本的に何をやっても目的ファーストで行動し、手段を目的から逆算し、最善の一手の追求をし、学びを深めている。
シード期の優秀な人の定義は、オーナーシップを持って目的のために主体的に仕事がしたいと考えている人である。そういった優秀な人をダメにするには、理由不明な仕事を押し付け、やった仕事をルールと過去の事例でレビューすることである。それを続けることで、忖度とルール遵守に優秀さを使ってしまう人が出来る。
そこで今回はそういった観点で、どのように教育の観点を作っているのかをまとめてみたい。自分で必要な情報を取ってきて、自分でオーナーシップをもって仮説検証を回していけるのか?学びを最大化できるかをの教育環境である。
何にオーナーシップを発揮してほしいのか?
サービスをよりよくするためのオーナーシップを発揮してもらいたい。どうすればもっとサービスが良くなるか?の問いを持つ人が、自分で情報をキャッチアップできる環境にする。
まず新人(これはインターン向け)のオンボーディング1日目は以下である。
ビジョンやバリューを伝えるようにし、それに対しての違和感をすり合わせする。今の事業フェーズと事業戦略を動画を使って解説し、質問をあげて、まずは自分の質問の答えを探してもらう。自分で情報をキャッチアップできるようにしている。
いくつかの問いは答えを伝えずに&答えがまだ無いことも多いので、一緒に考えて、またお互いに答えを持ち寄ろうみたいなこともある。ここらはシードの仮説検証で明らかにすることも多い
以外にも教えないことは他にもある。
教えないこと
人の学びが高まるときは、人が知りたいと思ったときである。車がパンクしたらスペアタイアへの変え方を学びたいように、冷蔵庫に生姜と肉があれば生姜焼きのレシピを知りたいように、ひとは必要と感じたときに学びが高まる。知りたい動機を抱えながらワークすることはしてもらうことも多い。
もっと学びが高まる瞬間がある。それは痛みである。人は痛みがあるときに学びが最大化する。大きなミスをした時、手痛く負けたとき、それをきちんと認識出来れば、そこからは学びの最大化のターンになる。
そこで教育環境作りにおいて、失敗してもダメージが無いことに対して、失敗を予想し、先回りして教えることをやめている。オーナーシップを持ち、仮説を立てて、まずは間違ってもらう。そして間違いから何かを気づいてもらうこと、そしてそれらの気づきを一緒に振り返ること。メタ認知できるように今回のミスの変数を洗い出すのがマネジメントの役割のひとつだ。
間違ってもらう前提でもないので、分からないことや気になることはいかに相談しやすくなる空気もあわせて大事である。悩んで止まるなら聞く。ただ必ず「考え(もしくは仮説、もしくは自分はどうしたいか?)」は聞く環境にしている。
教育環境にこだわる理由。
なぜ教育環境にこだわるのかと言うと、我々が掲げているビジョンが大きい分、今までに無い問いを解きつづけるために、自分で考えて行動するための教育環境が必要である。(「誰でも自分の居場所が見つかる」を日本に実装するためにチャレンジしている)
本来的に僕はビジョンにあわせて、達成したいことに対して、教育は変わるべきと考えている。抽象度が高いものを扱うならそのための教育が必要に思う。以前某大手お菓子メーカーのセールスの子と話していたら「うちで一番必要無いのは、自分の頭で考えることかも」と言ってた。それはひとつの真理である。ある程度売り方が決まり、勝ち方が決まっていれば、合理的にやるのが勝ち筋のひとつだろう。ただ我々は、そうではない。常に誰かの居場所という抽象的な問いに立ち向かう以上、自分の頭で考える必要がある。
環境と同じぐらい大事なことは教育のスタンスではないかと思う。相手に教えるというスタンスではなく、相手のことを考え、相手と一緒に学ぶスタンス。相手ときちんと向き合うこと。相手の得意不得意を理解し、お互いにフォローしながら学んでいくスタンスこそである。
ビジョンを実現するには、教育環境・スタンスにはこだわっていきたい。