2024年3月13日付けで株式会社Wattを設立しました。
なにをする会社か?
「誰でも自分の居場所を」をビジョンに掲げ、いつでも行けて、行けば歓迎されて、人との繋がりを感じられる場所を日本に実装することを目標にしています。
今回は、なぜその事業をしようと思ったのか?どうやって新規事業について考えたのか?について書いてみます。生煮えの思いをお届け!
さあ何の事業をしようかな?
まず全起業家が考える、ファーストの問いは「何の事業しようかなあ」であります。
まずは長く仕事をしてきた建築事業での新規事業を考えました。業界は多重請負構造で、多くのプレイヤーが存在しており、不合理が残っています。個別は最適でも、バリューチェーン全体を考えられていません。「事件は現場で起きてんだよ!」が正義の業界であると。
バリューチェーンを考えるにあたり、出したい価値とボトルネックを考えます。出したい価値はもちろん利益で、そのために見積もりのデータが資産になっていないなと。見積もりのデータを軸に業務フローを再構築することで、大きなバリューを出せそうだなとあたりをつけていました。
見積もりには材料の数・金額があります。それはすなわち別のセクションでは実行予算書のデータであり、材料発注・荷揚げ・在庫管理のデータでもあります。
本当に自分がやりたいのか?
ただ、ここで立ち止まります。「自分はなぜ、この事業をやりたいんだっけ?」と。そこで共同創業者でエンジニアの津守くんに意見をもとめたところ「戦略は腹落ちしますしISSUEも明確に感じますが、井上さんは、なぜこれがやりたいんですか?」と聞かれ、津守くんに「3日、欲しい。温泉で事業を思いついて帰ってくる」ということで休みを取って、城崎温泉で事業アイディアを考えてました。事業を考える。温泉に入る。事業を考える。の繰り返し。
事業アイディアは誰のISSUEか?
僕は建築Saasを検討したように、洋服サブスクに取り組んだように、つい誰かのISSUEから始めてしまう。
そこで今回は自分軸から始めようと思い、温泉宿に着いて、パソコンをつけて、まずはテキストエディタの1P目に以下を書きました。
「自分ごと」
自分のISSUEもしくは自分がやりたくなるISSUEってなんだっけ?
パソコンを閉じて、温泉に入りながら、自分が大人になって、困ったことを考えていた。思いつくのは、よくあるアイディア(イベントの見つけるISSUEと地域体験のISSUE)で、特に自分がしたい事業とは感じない。
ISSUEから離れて、自分がつい行動してしまうことを考えてみる。昔から自分は1人が適さない環境に1人で居る人がいれば、話しかけてしまう。高校のころなら、教室での自席で1人ご飯を食べている人がいると、つい話しかける。「次の授業ってなんだっけ?」と。会社の1on1では「しんどいときに相談出来る人」がいるかを探ったり、漫画「ドラゴンボール」を読んでいてもヤムチャが気になり、自分を過大に評価するという性質を持った彼が「狼牙風風拳」を磨くのを辞めた日は誰かと話をしたのか?ミスター・サタンよりきっと強いだろう彼が、世界チャンピオンを目指さずに、拳をおさめた日は、誰かと話しが出来たのかと、どうしても気になる。
なぜ自分は、そういう人が気になり、そういう人が居ると、つい話しかけてしまったりするのだろう?ここの言語化は難しい。自身のオブセッションでまとめてしまうところだが、少し紐解いてみたい。
幼少期の出来事
僕の子供の頃はおばあちゃんっ子であり、曾祖母のことを「大きいばあちゃん」と呼び、毎日のように遊びに行っていた。僕は小学生のころ、習い事のスイミングスクールに行くのがあまりにイヤで、よく「大きいばあちゃん」の家に逃げ込んでいた。彼女のベッドに潜り込んで、母親の執拗な捜索から逃げていた。母親が「おおきいばあちゃん」の家に僕を探しに来ても「ダイスケは居ない!来てないよ!」の一点ばりで追い払ってくれた。(母も父方の祖母が苦手だったと思うので、今となっては悪いことをしたと思う)
彼女の前で、僕は学校の毎日の出来事で、オチもない、あまりパッとしない話しを、ずっと聞いてくれた。大きくリアクションして、笑ってくれて、「ダイスケは天才やな」が彼女の相槌であった。
僕が小学生で兵庫県西宮市に引っ越し、転校したときに、同級生から強いコミュニケーションを仕掛けられたときも「おばあちゃんから天才と言われた自分が、同級生から馬鹿にされるのは、おばあちゃんにあわせる顔がない」という気持ちがあった。ノンバーバルで面倒なコミュニケーションに対抗が出来たのは、自分なら大丈夫という感覚があったからと感じる。これらの多くはおばあちゃんと過ごす時間によって得たものだろうと思う。
この感情や自分なら出来るかもという感情は大人になった今も残っている。
この体験と、僕が1人で居る人が気になることが根っこで繋がっているのかはよく分からない。ただ小さいころから友達が鍵っ子で、夜ご飯を、1人レトルトをチンして食べていると聞くと、お節介にも「よかったらうちで一緒にご飯を食べない?」と誘ってしまっていた。
自分がやりたいこと
僕が小学生のときに曾祖母の家に逃げ込んだように、そこに行けば、自分を歓迎してくれて、自分の話しを聞いてくれる場所が無い人はどうしているんだろう?ただ自分はどうしても、それを持たない人のことが気になってしまう。
なぜ行動してしまうのかは自分でもうまく言語化できない。過去の自分を振り返っていると、自分としての事業の最終の着地点は、ここにあるような気がする。そんな場所が無くて、人生を生きている人を見ると、極寒の雪国で、Tシャツと短パンで歩き回っている人のように感じることがある。人は、たぶんもう少し暖かい場所で生活するべきなのだ。
なぜそれがしたいのか?自分でも良くわからないが、どうしてもやってみたい。(やはりオブセッションになったじゃないか)目的に向かう流れで、答えが見つかるといいんだけど。
僕は、そんな場所を多くの人が持てる世界にしたいと温泉に入りながら、タトゥーがバキバキの筋肉ムッチムチの外国人に囲まれ、風呂の熱気に、のぼせながら思ったことだ。
自分が、やりたい気持ちが出来たなら、そこからはフレームワークで事業を具体に落としていくだけである。誰に?何を?どのように?いくらで?である。事業のブラッシュアップはゆくゆく出来るものだ。仮説検証を回していけば良い。それよりも1番大切なことは自分に熱があるか。「じぶんごと」で取り組めるのか。今回の温泉の旅を通じ、そういった熱の鉱脈と手応えがあった。長く仕事をやってきたが、自分にそんな熱があったという事実に少しの驚きと戸惑いがあった。そして帰りの長距離バスに揺られながら、それは大きくて深い喜びの感情に変わっていった。
僕が取り組むことは「誰でも自分の居場所を」。このチャレンジを何とか形にできるよう、真摯にチャレンジを進めていきたい。未熟な点が多くあると思いますが、ご指導なにとぞ宜しくお願いします。
Watt株式会社 代表取締役井上大輔