生きるって「しんどい」の割合のほうが圧倒的に多いと思うのですが、そんな日々の中でも、よく寝て、ちゃんと食べて、朝に陽の光を浴びることだけは忘れないようにしたいです。間違っても、血液検査の数値があまり良くないのに暴飲暴食をしてはいけない。たとえ毎朝お経をあげていても、神棚に手を合わせていても、そのツケを払わなくちゃならない日は必ずやってくるので。
ということで、過去に「大事なことは三つだけ」というタイトルで書いた某ソシャゲ二次創作小説の一部を以下に貼っておきます。※キャラクター名は山田と田中に変更済みです。
これは元は個人HPに上げていたのですが、そのHPが突然のサ終により消えて以降、わたしのPC内で誰に読まれることもなく眠っていたものです。今さっき読み直してみたらそこそこ良かったので叩き起こしてきました。状況説明など一切無いのでよくわからないかと思いますが、眠れない夜にでもどうぞ。もう二時半なのでわたしは先に寝ますね。
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田中は基本的に、山田に対しては、彼女から話してくれるまで待つというスタンスをとっている。彼女から本心を聞き出すにはそれが最善手だからであり、水を向けてやることはあっても、わざわざこちらから踏み込むような真似はしないようにしている。
けれど今、余程のことが起きている。このままでは本心を聞くよりも山田が倒れてしまう方が早い。
それだけはあってはならない、と田中は強く奥歯を噛む。後悔させてしまうかもしれない。いつかそう零した田中の手を握り返してくれた彼女のことを、決して後悔させるわけにはいかないのだ。
「どうしてって」
田中は敢えてそこで言葉を区切り、手にしていたマグカップをテーブルの上に置いた。勿体を付けるように眼鏡を掛け直すと、困惑した様子の山田へ向けてゆるりと手を伸ばす。
「山田さんが自分に内緒で、こんなにも痩せてしまうからでしょう」
マグカップを持っていない方、つまり左の手首に浮かぶくるぶしに指先が触れた瞬間、細く息を飲む音が鼓膜を引っ掻いた。
田中の目線よりも二十センチほど下のところで、何かを言いたそうに、薄いくちびるが開いては閉じるを繰り返している。けれどひとつも音になることはなく、言葉の残骸だけが口からこぼれては顎のあたりで霧散していく。
こうして彼女は、いったいどれだけの言葉を飲み込んできたのだろう? 誰にも気付かれることなく感情を押し殺してきたことだって、きっと数えきれないくらいあるに違いない。そうして精神を擦り減らし、結果として身さえも削っているのだから世話がない。
けれど、自分ではもうどうすることもできないのだろう。性質とはそういうもので、だからこそ田中は己のスタンスを崩すことを選んだ。
「ねえ、山田さん」
できるだけ穏やかな声音で山田の名を呼ぶ。
「山田さんはよく言葉を飲み込みますよね。余計なことを言いたくないから……いや、間違えたくないからですか? その気持ちはよくわかりますがね。言葉を飲み込んでばかりいては、澱が溜まって体に良くありませんよ」
痛々しく震える長い睫毛の奥で、色素の薄い瞳がゆらりと大きく揺れるのを見る。
「いいですか」
田中はそう前置きすると、彼女の細っこい指先を数本、柔い力で握り締めた。
「大事なことは三つだけです。よく寝ること、ちゃんと食べること、そして陽の光を浴びること」
ロールスクリーンの裾から差し込んだ、蜂蜜色をした光が淡く足元を照らしている。山田は持っていた黒いマグカップをテーブルに置くと、長さを調節するコードをくいと手繰った。
飛び込んできた光の眩さに一瞬、目が細められる。それでも彼女は顔を背けることなく、しっかりと地に足を着け、まっすぐに背筋を伸ばして、太陽が昇るのを真正面からじっと見つめ続けた。光を取り込むように、色を取り戻すように。
「田中さん」
やがてこちらを振り返った彼女の瞳には、いつか見たような鮮やかなものが湛えられていた。眦が若干赤くなっていることには気付かぬふりをして、「なんでしょう?」と小首を傾げる。
「ウナギ、食べたいです」
「ふふ。わかりました。では、二人前の特上を予約しておきますね」
ふと、先ほど彼女に触れていた手の中に、無防備な曲線と重みが蘇った。決して失くさないように、かつ壊さないように握り締めれば、まどろみにも似た感覚が眉間のあたりに湧き起こる。
寮に帰ったら、自分はきっと泥のように眠るのだろう。そして目が覚めたとき、最初に見る景色に山田がいないことに心細さを覚えるに違いない。
ばかだな、と思う。べた惚れじゃないか。田中はそれでもほどける口元を隠すことなく、静かに顎を引いたのだった。