ここから先に書くことはまとまりのないことばだ。
何歳になっても物語から得るものはあるし、ときによって得るものが変わるのだろうとおもう。
「違国日記」という作品を読んだ。学生時代から好きな漫画家の作品で、お試し読みで3巻までは度々読んでいたがこの度全巻読了した。
この作品を読んだことで、いまの自分を受け入れることができたように感じる。
学や実力がないのに責任ある立場をあてがわれ耐えられなかったこと。2年ほど続いた残業ばかりの日々にも耐えられなかったこと。世間体を気にして、ひとと違うことを気にして、親の考えを気にして、自分でも気にして、一般的と呼ばれるような恋愛や結婚をしようと相手を見つけても、結局すぐにダメになってしまうこと。失敗や叱責を気にしすぎてしまうこと。
それらをすべてよしとすることは、誰かに赦しを得るものではなく、自分自身を受け入れて自分が判断することだとおもう。
私はそれらをすべてよしとしたくない、どうしてこんなこともできないのだろうかといつも他人と比べてしまうし、現状を受け入れてよしとするよりも打開したいと考えている。が。果たして打開できるものなのかは自分にもわからない。
ひとはどこまでいっても他人であり、ちがうくにのいきものなのだ。違国日記を読んで、そのうえでちがうくにのいきもの同士、ひとりではないことを自覚し、生きていくということを考え、なにかを遺したいとおもってこの記事を書いている。
いま、この、どうしようもない人間である瞬間に、この作品を読むことができてよかった。
別にこの先劇的になにかが変わることはないだろうけれど、それでもいまこの瞬間のわたしはこの作品に救われたのだ。
物語というものはすごい。こんな語彙しか出てこない貧困な自分が悲しくなるけれど、素晴らしい作品にであえてよかったという気持ちでいっぱいだ。