昨日の日記と正面から矛盾するようなことだが、マッチングアプリでもやろうかという気になった。気になっただけで何もしていないので、今の私の見立てではこの日記を書き終われば満足して結局何もしないんじゃないかと思っている。
さて、なんでそんなことを思ったのか、それを説明してみる。まず、昨日の日記にもちらっと書いた通り、私は世間一般に言う恋愛をやったことがない。これは私は長らくクソデブをやっていたことから察せられると思うが、惹きつける魅力に欠く上こちらからも恋愛ごとをやろうという気概がまったくなかったからだ。ちょっとでも真っ当に恋愛を (すなわち他者からの評価改善を) やろうと思っていたなら、少なくとものうのうとクソデブのまま過ごせはしまい。
外的魅力については努力次第で改善が可能である (と私は思っている) 。なので、ここではとりあえず不問に付しておく。性格がひん曲がっていて改善の余地が無いという可能性は考えないこととする。悲しいので。
それで、努力次第で改善が可能であるのであれば、必要なものは努力のためのやる気だけだ。しかしこの「やる気」、すなわち「恋愛ごとをやろうという気概」が無いことは上述の通り。なぜやる気が無いのかというと、内省によれば、第一に近しい (排他的な) 関係を築くことによって発生する重い道義的義務を背負っても良いと思えるほど恋愛関係から利点を抽出できないと感じていたこと、第二に恋愛ごとが端的に意味不明であるということ、この2点による。この2点から、もし誰かが錯誤によって私と恋愛関係を結ぼうとし、私が無責任にそれを受諾したとして、私は恋愛関係において期待される精神的コストを支払わないために基本的には不幸に帰着すると思われる。
第一の点についてはいつだかの雑記に示した。要するに、近しい間柄であれば私が害をなすとして離れるにもコストがかかるのでずるずると害が蓄積していってしまう可能性がある、という話だ。
第二の点について補足すると、文字通りに恋愛のすべてが意味不明なわけではなく、ラブコメなんぞは美味しくいただくことができるものもある (いつかの日記にも書いた) 。これはひとびとの情動が美味しくいただけるからだ。それにひきかえ、こと現実において、特定個人にそんな強い感情を向けるということが (少なくとも私に) あるのか、ということに疑いを抱いている。控えめなかっこを付けたが、いくら私が文字書きで想像力を働かせることによって極めて様々な人々の心情を察することができるとはいえ、世間で重要とみなされているらしい恋愛ごとの根幹部分について体験が無い以上、他者についても同様の疑いを持つことは仕方のないことだと思う。高潔なる騎士道精神が美しいものとして物語中で称揚されるとて現実にそれほど普遍的に存在するのかは疑わしい、というのと同じ構造だ。
このような理由から、私は恋愛ごと一般について疎外感がある。では、なぜマッチングアプリなんぞをやろうと思ったのか? まさか恋愛感情でも芽生えたのか? そうだったらだいぶ楽だろう。なにせ文字書きに活かせる!
端的に言えば、私が欲しいのは恋人ではなく人生の同盟者なのだ。艱難辛苦を共に乗り越え、互いに互いの至らない部分を許容し補い合うような関係、それは事実上愛し合っているようなものだと思うが (許容が愛の結構重要そうなパートを占めていると私は睨んでいる) 、とかく恋人ではないのだから恋人としての義務は帯びない (はずだ) 。
では、なぜこれを今日 (昨日) になって突然思ったのか? 内省によれば、これはおそらく『饗宴』を読了しより広い意味での愛、すなわちあらゆる意味における美の追求を承認したために、一般の恋愛ごとに対する未練が無くなったためだと思う。一般の恋愛の真似ごとをやろうというつもりでいないなら、マッチングアプリの自己紹介欄か何かにそう書いておけばそれで済む。
人生の同盟者が欲しい、ということについては前々から思っていたことでもあった。一寸先は闇とまでは言わないが、将来はまあまあ闇だ。怖いね。だから、窮地にロープを垂らしてくれるひとがあったら、嬉しい。せめて嘲らないでいてくれればそれでいい。上手く行かないときというものは世界のすべてが小馬鹿にしてくるように感じられるものだから。
言うまでも無いが、相手が困難の中にあるときに助けるのも同様に同盟者としての私の義務になる。
その同盟者を見つけようと思ったとき、現実側に期待するには少々困難な状況にある。私のここまでの人生を見てみると、高校時代からもうずっと理系単科の学校におり、しかも知識欲のために博士まで行こうかな、と思っている。これでは男余りの学校でだれか捕まえて私の同盟者になれと言っても望み薄だろうし、博士を出るころにはかなり馬鹿げた物言いになりそうな気がする (1浪してるのでここからストレートで博士号を取っても28と半年になってしまうのだ) 。アルバイト先に期待する、というのも無理がある。私は肉欲駆動ではないので、控えめに言って高望みしていると思う。そうなると、偶然に私と同じアルバイト先に、私が十分敬意と期待を持てるような人格の同年代の彼氏持ちでない女性がいる、という状況は流石に無理がある。馬で大穴爆当てして富裕になる方がまだ早い。
以上の理由から、たぶんマッチングアプリを利用したほうが多少は勝率が高かろう、という結論に至った。
意外なことに、まだ私には多少マッチングアプリをやろうという気分が残っていた。とはいえ、ここから実際にどのアプリを使うかとか本当にアプリを使い続ける精神的・時間的コストを支払う余裕があるのかとかそもそもバイトしないと本当に首が回らないんだからそんなことしてる場合じゃないんじゃないかとかそういう悩みはある。全部無視して今日は寝ることとする。