突如襲い来た恐怖のようなもの、あるいは向社会的態度の必要性について

ikabomb
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 私は普段、布団に転がってパソコンをカチャカチャしたり寝ようとしたりするときといったリラックスタイムには、イヤホンを耳に突っ込んで ASMR のたぐいを聞いている。ASMR と言っても主に人の声がするやつで、シチュエーションボイスとか言った方が正確なやつである。

 とかく、音声の世界においては私がぜんぜん関わらないところでいろいろな物語が進行するわけだ。私はなんならまったく集中しなくてもよく、それでいてすでに内容は知っているものなのでうるさすぎるとかそういった不満は回避できる。作業とリラックスにおいて都合が良くなった代わりにあんまり情報量は増えないラジオみたいなものだ。

 物語が進行するとは言っても、男性向けシチュエーションボイスなんてものはだいたい女性キャラが1人や2人ぐらいあっちで喋り、「私」がそれに受け答えしているという体でのものだ。たぶん、その気になれば本当に私がそこにいるのだと錯覚することができるのだろうし、別に聞いて回ったりしたわけではないがそっちの方がメジャーな楽しみ方であるような気はする。

 私はと言えば、逆に、基本的には私ではない「私」(聴者代理キャラ) を想定して聞いている。なぜかと言えば、現実の私を想定できるほど私は作中できれいなキャラクターになれないからだ。作中のキャラクターが「私」を好きだと言ったとして、「私」を本当に私のことだと捉えるとあまりにもつらい。見劣りとかそういうレベルではない。なので、そこにきれいな聴者代理キャラを想定して立て、そこに共感を入れるという形で私は楽しんでいる。

 お察しの通り、これはまあまあ認知コストの要る聞き方だ。慣れてしまえば普段は苦もなくできるのでそのことを自覚することすら無いのだが、たまに失敗する日がある。今日はそうではなかったものの、ふとした瞬間にキャラクターのセリフがダイレクトに私に刺さってしまった。そういうこともある (あるんだ……) 。

 それで、やっとタイトルに書いたことが出てくる。今日聞いていたシチュエーションボイスはまあまあ明確に恋愛の話をしているものだった。恋愛をするのは私ではなく聴者代理キャラなのだが、ちょっと防御に失敗してしまい、恋愛文脈話が刺さってしまった。

 つまり、赤の他人と密接な関係を持つとかいう意味のわからないことをしなければならないという状況に陥っている錯覚を得る羽目に陥ってしまったのだ。これは空恐ろしい。

 基本的に、他者と関わるときには他者を不快にしない道義的義務がある (と私は思っている) 。そこまで密接でない関係であれば、これはまあフランクにやってもそんなに問題が生ずることはない。私が不快なのであれば、相手は離れることができる。馬が合わない人とはそこまでだ。

 問題は、どういう理由にせよ密接な関係を持ってしまったときだ。密接な関係の中でもとりわけそれが排他的関係であるとき (「浮気」を許さない通常の恋愛関係はこれにあたる) 、相手は私のことを不快だと思っても他のところに関係を振り向けて自力解決することができない。また、関係が密接であれば、その関係を急速に薄弱化させることも困難だ。

 このようなとき、他者を不快にしない道義的義務はかなり重い意味を持つ。つまり、そのような関係に私が巻き込まれれば、私が背負わなければならない道義的責任はかなり重めのものになる。あんまりにも怖い。

 ついでに言えば、そこまで深い関係でなくとも、現実に見える友人らにはでは許容可能な範囲の不快しか与えていないと断言できるのか? こんなものは判断のしようがない。だから気にしても詮無いことではあるものの、だからといってそこに恐怖が顔を覗かせることも否定しがたい。

 ………………流石に、そこまでいくと一時的なパニックでしかないらしく、もうつらつらと1500字ほど書いている状態の今の私にはありありと恐怖が思い浮かべられるといったことは無くなっている。喉元過ぎればなんとやら、かもしれない。

 とにもかくにも、努めて人を幸福にするよう励まなければならない。それは高尚な理由による何かではなく、偏に感情的応答によるものなのだが、そうだったとしても結果的に向社会的になるんならいいじゃないか……。

 いやまあ、こんな文を公開している時点でそこまで取り繕って人を幸福にさせようという気概もないことは明らかなので、この文のどこまでが本心でどこまでが自分を騙すための美辞麗句なのかということもわかりやしないのだが。

@ikabomb
A. E. I. O. U.