『饗宴』を一応読了した。いわゆるプラトニックラブの話だ。いや違うが。プラトニックラブを最初に言い出した人は多分読んでない。玄孫引きぐらいになったところから「ほんなら肉欲無ければプラトニックやな!」みたいにしてるんだと思う。
どちらかといえば、それが肉体的なものであれ精神的なものであれ、個人に対して執着を持つことはダサいよねみたいなことが結論に近いところでは言われていた。曰く、美への愛の階梯を肉体美→精神美 (徳とか) →学問上の美みたいに登っていくものらしく、肉体一般 / 精神一般に存在する美しさを知ったならば特定の一人をどうこうすることにはならないんじゃないの、とかなんとか。
私としては、まあまあ自身の感覚に合う (一般にキャラクター造形にあたってもその自由意志の発露がいちばんの焦点になり、物理的存在がどのようであるのかについては場合によって文字通りに一顧だにしていない場合があるので) 上、権威にはやっぱり弱いのでこの主張には頷けるところが大きいように感じられた。自由意志さえあるならヒトだろうとイカだろうと火星人だろうと旧支配者だろうと称号に過ぎない。
それはそうと、この『饗宴』におけるソクラテスの主張を承服 (いやまあ精読した結果かと言われると怪しいが、少なくとも一読した結果として承服) しないわけにはいかないようになってしまったので、私 (22歳男性、年齢=彼女いない歴) としては恋愛をしないことの理論パンチができるようになってしまい、これは当然ながら外向きに使うよりも内向きに使うほうがよっぽど頻度が高くなるだろうことから、末代確定しちゃったなあ、という気持ちに。「良い立法者であったとかで優れたる人物と伝えられる人々はいても良い子を為したことによって伝えられる人物は居ない」みたいな主張もあったことだしね。
まあでも遺伝子じゃなくて学問上の知識を遺していくので無問題か。