日記 (11/23) (小説を書くこととものを記述することについて)

ikabomb
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 幸運にも、少なくとも平均から見て私には高い言語能力があるらしいし、その結果なのかはわからないがものを言語的に記述することについて苦痛を感じることは滅多にない。たぶん、私は一昔前ならどっかの新聞社の技術ジャーナリストにでもなっておけば一生安泰で暮らせたのだろうと思う。世の中をナメているので。

 ものを記述する、というのは小説を書くことと似ているようでそこそこ違う。たぶんブリティッシュコロンビアとコロンビアぐらい違う。ものを記述するとき、そこには幻想としての完璧な正解があるように思える。それを目指して言葉を置いていくので、私にとって記述することは減点方式だ。どこで減点を受けるのか / 受けたのかもわからないのに減点方式なので気にすることも無いのだが、たまにしんどくなってしまうことがある。減点方式と言ったからには、翻って、小説は加点方式だ。創発的にぶんぶんと世界をこねあげれば、いくらでも点数を積み増すことができる。ただし100点は遥か遠くだ。総合的に言えば、記述のほうが100点に近いものが出せるのだろう。

 痛し痒しだ。おとなしく記述も小説書きもやっていくしかないのだろうね。

 疲れてしまったときには、寝るのが一番だ。おやすみなさい。

@ikabomb
A. E. I. O. U.