最近、朝のカーがちょっとずつ混んできた気がする。
男坂の階段で、今日もなんかの運動部がトレーニングをしている。以前に見た集団より、構成員がマルマルしている気がする。普通の通行人がいるときはゼエゼエ言いながら走るのを止めてもらいたい。私はまだなるべくなら、他者の呼気を吸いたくないのだ。
オシゴトは順調。間違いを素直に認め、その訂正の過程で新しい知識を身に付けることのできた日であった。大したことはしていないが。マ大したコトしていないので順調でないと困る。がんばって大物をやっつけたときなんかより、大したコトしないで何事もないときの方がよほど充実感がある。
夜ジョグはいつも通りの左回りアップダウンの10㎞コース。だいぶ楽に気持ちよく走れた。暖かくてそこそこ汗をかく。春の気配がただよう。
今月26日には、ド嬢の7巻と、OddsVSの31巻が出るらしい。母に伝えなければならぬ。
死・償・罰・刑
ニュースか何かで「死刑」という言葉を見て、改めて思うとなかなかパンチの利いた話だなと思うなどする。「刑」として与えられる「死」。死ななければならない、その後の人生の一切を捨てなければならない罰を与えられるほどの悪いことというのは、まあヒトサマに同じことを食らわせていたら分からないでもないが、ひとかどの罪である。しかしここで与えられる死は、償いなのであろうか罰なのであろうか。償いなのであれば、その生命の終わりによって何らかが埋め合わせられなければならないハズで、それは恐らく彼の犯した罪の被害者が被った損失なのであろうが、それはどちらにとっても見合っているのだろうか。単に罰なのであれば、残りの人生を取り上げられること・生命活動を終わらせられることが当たるのだろうが、「先が失われること」と「死へ向かう苦しみを味わわされること」の、どちらがメインなんだろう。死、償、罰、刑。なんかその辺のワードの意味を、改めて考えてしまった。