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残っているのは、耳元でざらりと鳴る砂糖のような違和感だけだ。

もしもし。先輩、いきなりすみません。

あのときもそうだった。私はまたべつの病気で痛み止めを飲んでいて、さまざまな整理が追いつかないままベッドに横になっていた。

めずらし。なんかあった?

文学って、なんすかね?

私は思わず笑いそうになった。どうせ酔って電話をかけてきたのだろう。時刻は深夜1時を過ぎていた。しかしHは質問をしたきり、ひと言もしゃべらなかった。長い沈黙が彼の真剣さを表していた。

わかんないけど。

私はため息をつくように答えた。こんどは自分の適当な答えを笑いたかった。けれど口元は麻痺したように固まっていた。私は起きあがり、部屋の隅にある本棚の前まで移動した。

Hは私と同じ大学のゼミに所属していた。文学研究を謳っているものの、その内実は雑多で、ライトノベルやアニメの研究をしているゼミ生もいた。

いいんですよ、肩肘張らなくても。作品に誠実に向き合っていれば。

それがゼミの教授の口癖だった。しかしHは、フランス文学の大家と呼ばれる、世界的にも有名な作家について研究していた。他のゼミ生がA4用紙1枚で済ませる中間発表も、彼は20枚を超えるレジュメを準備し、そのうえで難解な論理をよどみなく説明した。

なぜ硬派な文学を志し、これほど優秀であるにもかかわらず、こんなゼミにやってきたのか。心に留めていた疑問に答えたのは、Hをやっかんだ他のゼミ生のうわさだった。

ほら、仏文の、去年まで学科長やってた先生いるじゃん。あの人とケンカしたんだって。授業の評価に納得できないとかで。それで嫌われて、先生とその教え子の先生のゼミは出禁になったらしい。

今さらのように事の経緯を思い出し、私は色とりどりの背表紙を眺めた。Hはたぶん酔っている。でも酔った勢いだけで質問しているわけではない。なにかを言おうとして、やめてをくり返し、

なんでそんなこと訊くの?

と話題を逸らした。スマートフォンを持つ手がかすかに震えた。失敗したと思った。

先輩には答えられないからですね。

Hはそれだけ言うと電話を切った。