前日も普通にデイサービス行って、当日も普通にお店を開けていた。94歳だった。
町の自転車屋さんをしていた。
自転車とバイク、販売と修理と、軽トラで配達もしていた。
長いこと近くの小学校の交通安全教室なんかを手伝ったりしていたし、それで県警に呼ばれて表彰されたりもした 賞状とかメダルとかたくさん飾ってある。すごい人だった。
流石に歳をとって運転もやめてしまったし、バイクも重いからやめてしまった。いまはパンク修理とかがほとんどだったけど、それでも毎日店を開けて入り口のガラス戸から外の大通りを見ていた。近くの小学生と知らないうちに仲良くなっていたり、家の前の横断歩道を渡りきれなかったおばあちゃんを助けたりしていた。じいちゃんの方が年上ではないのか。
昔は水曜日が定休日で、私が小学生の時はよく帰りに車で迎えにきてくれた。それが嬉しくて水曜日が好きだった。今でもうっすら水曜日が好き。
雨の日に校庭の真ん中までお店の名前がついた軽トラで来ちゃったこともあった。先生に怒られそうで少しどきどきした。
ランドセルにつけていたキーホルダーの金具が開いて取れてしまってしょんぼりしながら見せたら、その場ですぐ親指と人差し指の力だけで直してくれてびっくりした。驚いたし嬉しかったし、自慢のじいちゃんだった。
最近親指に上手く力が入らないらしく、自転車のカゴを取り付けるのに上手くドライバーが回せなくて結局お客さんにやってもらったと話したことがあった。私と母は、シャッターを開けるのも大変だし、そろそろお店を終わりにする方がいいのではないかと考えていた。そのことを言うチャンスかもと思ったが、いつになく消沈しているように見えてその時は何も言えなかった。湿布とかしたらよくなるかなあなんて誤魔化すように言ってしまった。
結局祖父はさいごまで自転車屋さんだった。
数日雨が続いたあとの絵に描いたような春のいい天気の日に、近所のスーパーまで自転車で買い物に行ったらしい。駐輪場に自転車を停めて、そこで自転車に寄りかかるようにうずくまってしまったと、救急車を呼んでくれた人が言っていた。搬送されたけれど、結局その時点でもうダメだったようだった。
自転車に乗りながら転んだわけではないので別に何も怪我はない。穏やかなものだった。晴れた日に自転車に乗ってスーパーに行って自転車に寄りかかって終わりなんだって。
そんなさあ、漫画みたいな話ある?自転車を愛し愛された男じゃん、漫画か?
いい気分で自転車乗ってスーパー行って晩のつまみとか買うつもりだったんだろう。母が買っていくって言ってたのになあ。あそこの刺身はあんまり美味くねえなあとか言ってたのに。いい天気だから機嫌よく自転車で行ったんだろう。もうじき桜も咲きますし。
でも週末また来るよって言っておやすみして次の日にこんなことある??急すぎじゃない?って孫はちょっと怒っています。怒るというかちょっと待ってくださいよと。
美しい終わりだったと思う。父なんかはこれが最高の形だよなどと言う。そうなのかもしれない。言いたいことはわかる。でも私はこれを美しいお話としてしまうのはイヤだし、隙あらばメソつくし、受け入れがたく思っているし、できれば突っぱねてやりたいと思っている。それからそれが無理なこともわかっている。
出来事が過去形になって物語にされていく、していく。理不尽で受け入れ難い、そのくせ覆せない出来事を受け止めるために物語を必要として、その試みの中で必要以上に美しく装飾したがってしまう。そういうシステムはわかる。
でもまだパッケージングするには生々しすぎる気持ちがある。これは「納得のいかなさ」だ。
これを「仕方ない」って言って受け止めて、あったものが欠けた状態を新しい日常としていくようになる。なるのか?ほんとうに?
えーん泣きそう
ごちゃごちゃになる心を落ち着かせるためにこんなの打ってるけど収まるものではない。ただ容赦なく時間が日常に塗り替えていくのに身を任せている。