感情や考えの言語化の話を見かける。
このブログを始めたのも日々思うことを吐き出すため、抱え続けるのが重いから出して身軽になるためだった。
言語化などというと大袈裟だけど思うところを残しておきたいような気持ちが最近やや強くある。
他人の感想にタダ乗りするようになるのはあんまり良くないなと思うくせに、自分の意見に近いと思ったそれがたくさんRTされていたりすると一緒になって自分もそれを紹介して「わかる」などとしがちである。単純に似た意見だと何か嬉しくなってしまうのと、虎の威を借るではないが数の持つ魔力や暴力みたいなものにあやかりたいみたいなやましい心があるのだと思う。
わかりやすいパッケージにしてもらうとお手軽でとてもラクだけど、それだけで終わりにしてしまうと私の感想は消えてしまうし、それは勿体無いからできれば私の気持ちは私の言葉で残しておきたい。それが同じような感想だとしても、世間と全く逆らっていたとしても。
私は私の思ったことの言語化を諦めたくはない。
映画のコピーで全米が泣いたとかラスト5分で必ず感動の涙とかあるが、あれが昔からとても苦手だった。
単純に私がウルトラ反抗的なひねくれものだからというのもあるが、そんなに簡単にみんなとおんなじに染められてたまるかみたいな気持ちが常にあるのだと思う。
何かに対する思いの言語化のタダ乗りと感情の揺さぶられるタイミングの押し付けはまた別の問題なのかもしれないけれど。
無駄にぐるぐる考えている自覚がある。それをうまく伝えられずに苦しんでいる感覚もある。だからうまく言語化して、それがどこかに届いて欲しいと願っている。これは理解を求めているのだろうか。寂しいのかもしれないな。
「いいえ、これは私の、私だけの感想です」としていたい気持ちと、「わかる〜わかるよめっちゃわかる」と誰かと分け合いたい気持ち、常に心がふたつある〜状態でふらふらしている。