TL;DR
対象
よく関わっている技育プロジェクトに参加するような学生
技術力の低さに心配している人
(最後半だけ)技術力あるやつ
いやまぁ俺も社会人2年目なんすけど、ちょっと偉そうに語ります。
君らは優秀なんだから
良い画像が持って来れなかったが、技育がよく出してくる画像に、ここに参加している学生は上位XX%見たいな書き方をしているものがある。(15%だか20%だか)
それは全く間違っておらず、類にもれず君らは優秀である。非技術の有意義さを言語化できていない層より、技術的な明示できる経験を積んでいる人は圧倒的に少ない。
ただ、君らが精神的にきついのは、「その20%の中じゃ自分は底辺の方なんじゃないか」という部分だろう。技育に参加しようものなら、バケモノのような速度で実装を回し、恐ろしいスピーチを披露し、嬉々として深夜でさえ開発の手を止めない人間が少なからずいるからだ。
でもよく考えてほしい、君らとそういった層が同じイベントに出ているなら、イベントとして語れる情報量は同じのはずだ。
問題なのは、技術力という一軸で上と下にわけ、自分が経験したことを大したことじゃないと言語化を怠ってしまい、本来語れる自分の武器を得る道を捨てていることなんじゃないだろうか?
君らは、気づかないだけで、本来なら一生かけても追いつけなかったかもしれないトップ層に迫れるほどの武器はもう持っている。君らは優秀なんだから。
ジュニアの優秀さとは
まず、ジュニアに技術力は求められていない!(!!!!!!!!)
もちろん、先鋭のベンチャーや少数精鋭系のところは最低限のラインが高いが、たいていのメガベンや以下その他IT企業は、ジュニアの技術力は十分条件であって必要条件じゃない。
技術力が欲しければ中途を取ればいい話だからだ。技育から新卒が入った場合って結構なお金をサポタズさんに払ってんねんで、、、へへ、、、
じゃあなんで新卒を入れるかって、凝り固まった思想や組織構造の新陳代謝を促し、おじさんたちを新しい風で叩き起こすことにある。ので、技術力というのは仮に組織としてほしいラインを下回っていたとしても育てていけばいいですよが共通認識なので全く問題ない。で、技育に出ている君らは、組織がほしいジュニアの技術のラインなんざとっくに超えている。
じゃあコアに求められている能力は技術力じゃなくてなんなんですかというと、それは仕事としてのコミュニケーションである。
ここでいうコミュニケーションというのは、「ウェイw」とか飲みいきましょうよ!wとかそういう大学生の冷笑系コミュニケーションではなくて、仕事において意図を持った行動をできますかということ。
例えば、わからないことがあった時に、「これわかりません」ではなく、「自分はXXXをやりたくて、YYYをしたが、ZZZでうまくいかず、おそらくAAAが原因だと思うので、そのOSSのissueで起票中なのですが、先輩から見てどの点が問題かわかりますか?」みたいな、自分のやったことの意図と理由を伝えられるかということだ。
もう一個例を出すと、「そこはXXXさんが担当された箇所なのでわかりません」ではなく、「そこは昔XXXさんが担当されたいたところなので、XXXさんに連絡を取ってYYYという実装意図なのは分かったのですが、ZZZという問題が新たに発生してスタックしています」ができるかどうかだ。
自分の行動、発言する流れ、そのバトンを回すための軸を自分にできるかが仕事におけるコミュニケーションで非常に重要である。
エンジニアにおけるジュニアとシニアの境目は、単なる技術力というより、こういった仕事のステークホルダーに対して自分がハンドラーとしてコミュニケーションを取れる範囲の広さに違いがある。
そして、このコミュニケーションが取れるかどうかに、対して技術力の差は関係しない。
技術力に優劣はない
技術力には3つの層がある。
魔法を魔法として処理する人
魔法を理解する人
魔法を作る人
これは、すごい努力をすることで進むことができるが、それにかかるモチベーションというのは追いつかないので、レベル上がるほど、ネイティブでそのモチベーションに対してトリガーが高い人と遭遇することになる。
技育というのは0の人を2ぐらいにあげるパワーを持っているので、元々0や1だった人が押し上げられうと、そういったネイティブギークみたいな人に対して劣等感を持ってしまう。ただ、さっき言った通り、ジュニアに求められるコアな能力はコミュニケーションだ。
技術の勉強というのは、必要ある人とない人がいる。必要ある人は勝手にやるし、ない人は苦労しないとできない。ない人は、必要ある人が勉強をしている間、別の有意義なことをしている。君らは、コミュニケーションをはじめとした、その別の有意義なことを、意味のない時間と勘違いしていないだろうか?ダラダラとゲームをしている時間や、お風呂に入っている時間、Youtubeショートで時間が溶けている時や、友達と飲みに行っている時間、馬鹿騒ぎしている時間を意味のないことだと思っていないだろうか?
このキャリアというのは耐久ゲームで、そのキャリアを楽しめるかどうかが重要な指標であって、技術力の段階によって優劣は決まらない。
リスペクトを持つこと
ここからは、技術力があるギークな学生も聞いてほしい。
ここで話したい一番大事な話は、さっき話した1, 2, 3のどの層の人間に対しても、リスペクトを持ってほしいということだ。
ギークな人間からしたら、技術というものは楽しくて、簡単なものなのだから、技術ができない人は一緒に楽しく勉強してさっさと3に上がってきてほしい気持ちがあるかもしれない。
それができたら苦労しない!!!上がれる人間は勝手に3に上がっているし、何しても上がれないのだから2にいたりする。
ここで、1や2の人間は勉強して上がっていくべきだとか、開発をもっと楽しく感じるべきだ、とか技術はもっと楽しくやるべきだ、とか、上のもの特有のべき論を振りかざすのは避けた方が良い。
そして何度も言っているが、エンジニアにとって技術との向き合い方が全てではなく、ギークの奴らがギークなことをしている間、そうでない人はそうでない生活を過ごしている。その行動にキャリアの差は埋まらない。技術にしても非技術にしても、言語化できない意図のない行動の量で差が発生する。
この3つの段階の人について、一見技術力の一軸でピラミッド的な図を思い描きがちだが、実際は三すくみ的な関係に近く、それぞれの人が行える行動というのは大きく異なってくる。このキャリアにおいてある一部の人とだけ関わることは困難であり、ここで他の段階の人に対して、いかにリスペクトを持って行動・マネージングできるかが重要であると思う。
慈悲ではなくリスペクトであることに注意してほしい。
終わりに
今日話した考えは、自分の体験に起因する。
自分は学生時代、あたかも自分のことを3の人間であると思っていたが、ゆめみに入ってガチテックリードのムーブを見た瞬間、まざまざと自分が3に行けることはないと実感した。
でも、その人にエンジニアとして完全に劣っているかといえばそうでなく、自分の方が優秀であるムーブができる場面も多くあり、この差はなんなのだろうと考えたのが始まりだった。
右の考えがあれば左の考えがあること、そして自分ができないことをやっている人間にリスペクトを払うこと、これは今でも大事にしている。