2026年からデモに行くようになった。
理由は極めて単純で、ほぼ投票と同じである。
そもそも、おれは投票に行きだしたのが30代入ってからである。
理由は「分からなかった」のみだ。親が投票とか行く親じゃなかったので、はがきが届いた後に何をすればいいのか分からなかったというあまりにも単純な理由である。家庭で教えられないとマジで何をすればいいのか分からない。はがきが来たがこれをどうすればいいのだ・・・?レベルである。
行きだしたのも単純な話で、結婚したパートナーが「はがき来たね、じゃあ行こうか」と言ってくれた、ただそれだけである。
今まで投票に行ったことがなかった、などひとことも言わず、しれっとついて行き、パートナーの様子を観察した。
・はがきの裏に書いてある投票所に行き
・土足で上がれるようになってるからそのまま上がり
・座っている人にはがきを見せ、なんか機械からウィーンって出た紙をもらい
・えんぴつの置いてある小ブースで何か書いて四角い箱に入れる
たったこれだけであることを確認してまねをした。その後、こどもの緊急の入院以外は必ず選挙に行っている。こんなもんである。
デモに行くようになったのも同じ感覚である。
きっかけとしては2026年の2月の選挙、豪雪地帯で投票率が余りにも低いのに選挙が振り替えされずに行われてしまったことだ。
おれは選挙に行けたけど、それはふつうにまずいじゃんか。行けてない人が多すぎるじゃんか、と思った。
じゃあきっと投票だけだとダメなんだろう、そう思ったときに、blueskyというSNSではデモに行く人、そのティップスにあふれていた。
なので行くことにして6~7回くらい行った。そんなもんである。
投票と違って、デモはまだ行ったことのない人も多いのじゃないかと思う。
なので、30代のおれがパートナーの投票ぶりを盗みみたように、おれのやり方をお伝えして「なんだこんなもんか」と思ってもらえるといいなと思ってこのエントリーを書いている。
その前にちょっとそもそもデモってなんだ?というところを、おれの考えで書いていく。
デモは「デモンストレーション」の略だそうだ。
おれの思うデモンストレーションの対象は「他の人」だ。自分以外の他の人。
投票は制度で定められた政治の代表を選定する作業なのだけど、それとは別に個人でも政治の主張をするのがデモンストレーションだと思う。
なのでそもそも、人数の多い集会に紛れなくてもデモはできる。
地元駅で行われているところにひそっと紛れてもデモだし、何か書いた紙を持ってスタンディングするのもデモだ。SNSで政治主張を書くのもデモだと言えるし、デモの動画を視聴するのも、人数換算がされるので「これだけの人数が観た」という意味でデモンストレーションになるだろう。
いろんなやり方で政治に関心がある人がいるとアピールすることは、政治も、行政も、他の人の考えも少し変える。そんな地味なものだと思う。
ただ、リアルの場所で人が立つ、歩くという行為は、アピール度が高いらしい。ネット全盛の世の中で、わざわざ人が外で時間を使っているという事実は本気度を感じるらしい。
というわけで、まだまだ初心者だが、初心者なりのいわゆる「デモ」の装備とやり方を箇条書きでお伝えしたい。
~装備~
・ペンライトは最高の装備。450円くらいで買ったペンライトをぺかぺか光らせて突っ立っているだけでサマになる
・ワークマンでつば広の帽子とオーバーサングラスを買った。併せて1000円くらい。メディアの写真に写り込んでも安心だし、昼のデモの時にいい。紫外線から目を守れ
・夜間の自転車に乗るとき着けるような反射タスキを買った。300円未満。光っているとデモンストレーションになるし、あと自転車に乗る時に使っている
~やり方~
・初心者は人数が多いデモに紛れた方が楽。人がたくさんいるので、調べて最寄り駅さえ着ければあとは流れにのって行けばいい。デモ情報はSNSでチェックするほか、日本だと毎月19日はたいていどこかでやっている(19日行動というらしい)
・夜の時間が多いので、おれは15~30分くらい、会社帰りに立ち寄って帰る。それで何か言われることはいっさい無い
・おれはまじで突っ立っているだけである。デモのコール、とかもしないし行進とかもしない(そもそも前半で帰るので)
・メディア報道に写りたくなければ、道に面した側ではなく奥まったところ、発言者のいるようなステージに行かない(たぶん人が多くて近づけないが・・・)
・デモの道々、「政治を知ってもらいたい」などとチラシを配っていることもあるが全部無視でいい。妙な団体なのかそうじゃないのかの区別がつかないからだ。まじめにやる人は今時SNSなどで発信しているから後でSNSでチェックすれば十分。このへんは日常の社会生活と同じである
以上である。
おれはデモを投票と同じ程度の政治行動だと位置づけているので、感覚も全く同じである。めんどくせえけど行かないとまずいやつだ、と思いながら行っている。誰とも話さず帰る。
そして投票と同じであるから、さまざまな理由で行けない人が・・・在外日本人や重度障害で移動が困難な人、精神障害で外にでられない人、育児や介護など、さまざまな理由があることも承知している。
でも、おれは行けるから行っている。ただそれだけだ。
今、日本のみならず、世界各国が荒れている。
第一次世界大戦は100年前のパンデミック(スペイン風邪)も大きく影響しているとどこかで読んだが、2020年のコロナの大流行を経験し、たぶん似たようなことが起こっているものと思う。
昔と今は違う。当時は世界のどこだとしても万人に開かれた政治は無かった。選挙権は限定されたものだった。
現代は(建前は(少なくとも建前は))万人に選挙権があり、政治は開かれている。
そしてデモも権利である。このへんはおれも社会制度を学ぶ大学生なので理解している。
人間、生きてりゃ不満なことがある。そのほとんど、おおよそのことは、実は社会がちょっぴり変われば解消される。その解消のために使える権利のひとつが選挙権だしデモの権利だと理解している。
夏の間、こどもの夏休みなどもありなかなかデモに行けなかった。こどもも学校に行き始め、少し手が空くようになったので、また「ちょっとめんどうだな」と思いながら、地味に静かにデモに行く。
※このエントリーを読んで、デモ上級者の人は思うところもあるかもしれない。
しかし上級者なればこそお分かりだろうが、例えば3万人のデモは「声をかけた場所に3万人集まる」ものではなく、「3万件のデモがかちあった」ものだ。
おれはおれのやり方でやる。
デモの運営に関わり、労力を割いてくれている人に心からの感謝と労りを。そして、おれのような人間がもっと増えて、デモがみんなの生活の一部になり、投票と対となる「当たり前の生活」になるのが喜ばしいんじゃないかなと思っています。