派遣切りにあった。
まあそれは大したことではないのだが(こちとら就職氷河期末期の生まれである)、8つの大罪のうちのひとつ、「履歴書」をこなさなければならない。古事記にもそう書いてある。
おれは極めてテキトーに生きてきたため、バイトや仕事について「なぜその仕事を?」と聞かれても「さあ・・・?金?」くらいしか言えない。しかし履歴書を書いて面接をする時はそうはいかないのだ。
まあ、「・・・金?」は、「前回とは違う仕事にチャレンジして視野を広めようと思ったからです」に変換可能である。問題はどんな仕事をしていたか思い出すことだ。
そんな時、SNSのブルースカイのタグ#青空ブログ部にて「バイト遍歴」について語っている日記を2つ、見た。
書いてみよう、おれのバイト遍歴を。
そしてこれは、ADHDのバイト遍歴でもある。
ただし、それはn=1だ。おれは過活動タイプのADHD、かつ発達障害支援法(2004年)以前のケアなしの障害者である。自分のことを「基本的には社会活動はできるが時折そこぬけにアホになる」と自認しながら仕事をしてきた。あと、異様にメンタルと体力が強い。「アッ、この仕事だめだ向いてない!」と思ったらすぐ辞めて生きてきた。あと高校在学中から演劇をやっており、大学に行ける経済的ゆとりのない実家のため、当時から職業フリーターとしてバイトで生計を立てている。ADHD特有・・・とくくっては見ないでほしいが、ADHDであることは以下のバイト遍歴と分かち難く結びついてはいる。
・ファーストフードクルー
高校生、初めてのバイト。肘まで手を洗うのでちゃんとしてるなーと思った。社員に「感じわりい~!」というのが口癖の人がいて、カンジ悪ッと思っていた。学校の近くを選んだのだが、休日行きづらいのですぐ辞めた。
・地元の回転ずしの接客
高校生。今のようなチェーンでない回転ずし。まかないがすしだったのでものすごく美味しかった。どんな期間で辞めたのかマジで記憶がない。
・地元プールの監視員
高校生。夏の期間限定バイト。怯えるほど楽だが1時間勤務→1時間休憩で、今から考えると労基的にどうなの?と思うし、地元の高校生に紛れる休憩時間が一番つらかった。当時はスマホも無いし・・・(よく生き延びたなあ)
・地元の和風ファミレスのキッチン
高校生。確かここは2~3年くらいやったのでは。土日も入って、高校生なのに月8万とか稼いだ覚えがある。時給700円くらいだったが。うどん場を担当していたので、いまだに乾麺のそうめんやうどんを茹でた後に丁寧に洗うことをやる。
社員になっちゃいなよーと言われたが、高校卒業と共に辞める。
・北海道のリゾートバイト
フリーター。高校を卒業したが、演劇をやっていたし、就職氷河期だし、ADHDなのでまともに就職できるわけがないと(ADHDという概念自体は知らなかったが明確な違和感は把握していた)思い、面白いことをしようと思って半年間の観光ホテルのリゾバイに行った。書けないようなことがたくさんあって面白くはあった。
社員になっちゃいなよーと言われたが、書けないようなことばかりだったので契約満了で帰る。
・ディズニーシーのキャスト
フリーター。面白いことを(以下同)。毎日ショーが見られるのは面白いし、天候によってじゃっかん端折ったりする妙を見られたのはなにか勉強になった気がする。ただ園内の移動の関係で拘束時間が長く、収入面で厳しかったので半年くらいで辞める。好きな人がやるバイトですね。
・都内の小規模レストランの接客
フリーター。上京し、まかないが食べられそうなのでレストランの接客。人間関係が密すぎて完全に無理だった。豪速で辞める。
・チェーン居酒屋の準備スタッフ
フリーター。午前中、チェーン居酒屋の掃除やドリンクなどの準備。個人でやる仕事だしめちゃくちゃ楽で、数年やったと思う。一緒にやってた子が超金持ちと付き合っててすごい話を色々聞いた。金持ちこええ。
・某大手古本OFF
フリーター。居酒屋準備とかけもち。立ち仕事だが楽な仕事だし、エッセイを安く飽きるほど読めたので満足していた。また、ビルの2回上が居酒屋だったので夕食を居酒屋で摂ることを覚える。時給800円のくせに!
やってる人たちが文系なので人間関係的にはめっちゃくちゃ楽だった。3年くらいやった覚えがある。
・チェーンのパチンコ屋の接客
フリーター。時給800円で暮らせるわけないじゃん!と我に返り、当時としては破格の1200円程度のパチ屋のバイトにチャレンジしてみる。3点方式を案内したり、初めてラーメン屋で全部入りを食べられて感動する。ただ、音がものすごく、耳鳴りのような状態になってしまい無理だった。パチ屋の店主は「そういう時はもうねー全然引き留めないー、傷害罪になっちゃうからねー」と、優しくもなんとなく怖いことを言っていた。
・事務のバイト
フリーター。なるほど、時給が1000円超えるとまともに生活できるのだな、と理解し、かつ演劇から足を洗い(食える展望があまりにもなかったので)オフィスワーカーとやらになってみんとして事務バイト。声がデカかったのでコールセンター併設の部署で、パソコンのスイッチが分からないところからスタートする。いちいちトイレに行くときに「お手洗いいきまーす」と声掛けしてたら、「いや、会社はそういうのいいんで」と言われる。
そこも時給1200円程度だったのだが、当時小泉政権が解禁したハケン事務がそれより時給が高かったので応募して辞める。
以上である。
演劇をやっていた都合上、この合間やダブルワークで単発バイトをしていたりもするがそれは割愛する。履歴書にも書かないし。
ここから分かることは、おれは本当にテキトーに仕事をしてきたという事である。
自分の都合や特性に合わなければ爆速で仕事を辞めるし、都合に合えば長くやったりもする。仕事の内容にも一貫性はなく、やりがいという言葉が見えてこない。長く続いた仕事の理由は「楽だった」が大半で、ちょっとあなたすごいですね(自分に言ってる)。
その後、派遣社員として仕事をするが、イズムとしては全く変わらなかったんだなと思う。派遣社員でも1年に1回仕事を変えていた。
派遣だとハケン担当が3か月に一回「仕事どーします~?」と聞きに来て、Excelが妙に得意で習熟度が高かったので「じゃっ!去年よりもっと時給のいい仕事にいっきまーす!」と職場を変えていた。1年ごとに時給が100円上がるのは本当に愉快だった。
このへん、ADHDの衝動性はものすごく絡んでいる気はする。思い立ったらすぐやる課。おかげで後年のおれの履歴書が混雑している。
今、大学まで通ってやろうとしている福祉の仕事はマジでやる気である。なのだが、このバイト遍歴(その後の職歴も含めて)で納得してもらえそうにないのが痛い。「と思われるかもしれませんが、働きながら大学5年を通いとおしたことで本気度を感じてもらえるかと思います」。もうこのスタイルでいくしかない。
冒頭、派遣切りにあったが就職氷河期世代なので大したことない、と書いたが、ひょっとしてそれおれだからかもしんないな、とちょっと思い直した。辞め慣れているのだ。辞め筋が発達している。辞め筋ナイスバルク。