※このエントリーには『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』の大筋の流れが書かれています。が、上映館も少ないうえ、観るのにパワーが要る映画です。ネタバレと忌避せず読んでみてほしいです。このレビューを読んで改めて観る機会があったとしても、必ずやこのレビュー以上の映画体験になるはずです。
『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』を観た。
新宿kino cinema、9/20 8:25の回である。
ここまで詳しく書くのは、この映画が現在、日本でもほんの9館しか上映されていない(関東でも3館、関東以北についてはなんとゼロだ)批判としてである。レビューを読んでもらえれば分かるが、誇張抜きで「ほとんどすべての人類が観るべき映画」であるにも関わらず、だ。
このへんの大人の事情については良く分からない。そのため、個人のレビューという形で映画の意義を受け止め発信したいと思う。
まず、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』の概要である。
監督・脚本・編集・撮影:塚本晋也
原作:「「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」」(アレン・ネルソン著、講談社文庫刊)
2026年/116分
製作:木下グループ 制作プロダクション:キノフィルムズ
配給:キノフィルムズ
~あらすじ~
ベトナム帰還兵であるアレン・ネルソンの手記を映画化。1965年、貧困家庭出身の黒人の青年アレンは海軍に志願し、ベトナム戦争に行った。そこで経験した地獄と、兵役が終わっても自身を蝕むPTSD。苛烈な暴力と悲惨な予後を行きつ戻りつし、年老いたアレンが行き着いたところとは。
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映画は、アレン・ネルソンとカウンセラーの対話をベースに進行する。
ベトナム戦争の従軍により重いPTSDを患っているアレン・ネルソンは、ひたすらに「なぜ人を殺したのか?」と問うカウンセラーと何年も対話を交わしている。アメリカで家族と日常生活を送る中年のアレンと、18歳でベトナム従軍をするアレンのシーンがまるでフラッシュバックのように切り替わる。
若いアレンの残虐なベトナム(また、沖縄)での暴力と、PTSDに苦しみ、家族との生活もままならない中年のアレンの様子がかわるがわる描かれる。
中年のアレンが自らの中の怒りと暴力性を認めた時、少しだけPTSDは軽快する(しかし治ることは一生ない)。そして、アレンはベトナム戦争の経験を人に語る人生を選ぶ。
おれはすでに先に原作の手記を読んでいる状態で、本人がどのような地獄の痛みを抱え、どのような選択に至るかは知っていた。
それでもなお、特に<音>、
映画館の空間で鳴り響くベトナムでのマシンガンと爆発、混在する日常(平和な街のクラクションと単なる物音)が交差して、戦場と日常が混ざり合う。アレンの苦しみが突き付けられる。
『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』を映画館で観て、傷痍兵のPTSDの症状の一端を疑似体験する。アレンは身体に怪我の後遺症はないが、重篤なPTSDを持った。日中は車のクラクションが鳴っただけで逃げまどい物陰に隠れ、毎夜うなされ睡眠など取れない。家族との生活が不可能になり従軍後ホームレスとなる。睡眠をとるため強い薬を処方され依存に陥り、悪夢の中の敵と間違えてパートナーの首に手を掛ける。カウンセリングに何年も通ってなお、完全に治ることは一生なかった。
なにげない日常の瞬間、突然映画館の音が大きくなり、激しいマシンガンの音が聞こえてくる。ベトナムで殺した人たちの、損壊した顔のアップが繰り返しカットインする。生ごみが妙に生々しく、まるではらわたのように光る、あの日々のように。アレンの耳にも目にも、このように感じられていただろうか?殺される恐怖、なにより殺した強い罪悪感を伴い、そして四六時中、無作為に襲ってくる?脳がそれを再現する?では、世界に安心できる場所なんかない。脳から逃れられるところなんか無い。睡眠中でさえ。
アレンにこびりつくPTSDの何百分の一かの経験ではあるが、「安心できる場所を生涯失う不安」の恐ろしさに想いを馳せる。
おれはこのエントリーの冒頭、「誇張なく、ほとんどすべての人類が観るべき映画」と書いた。しかしその実、それは不可能だとも思っている。
音に感受性の強い人はまず観ることが難しい。そして、ベトナムでの虐殺に次ぐ虐殺の映像。あまりにも卑怯な手口と残忍なやり方。
ベトナム従軍中、殺人に慣れるために《死者の耳を削いで繋いでネックレスにしている白人上官》を見て、従軍経験の浅いアレンは吐いてしまう。しかしそれは映画館の観客も同じで、とてもじゃないが平静な感情で観られるものではない。
思うに、
思うに戦争とは、人間・・・「ヒト種」が処理できる残酷さのキャパシティーをはるかに越えているのだと思う。
人の本能に殺人は含まれると言う人がいる。しかし、それは例えばはるか古代、部族間の争いの果て、せめて数えられる人数の話にとどまると思われる。これほどの人数をこれほどの短期間でこれほど残酷に殺すこと、こんな本能は人にはない。その答えがアレン・ネルソンの過酷なPTSDであり、耳のネックレスを作った白人上官であることは疑いようがない。
しかし、世の中には華やかな英雄譚などもある。この二面性はなにか。その答えも『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』の中で明示されている。
つまり、【もっとも残酷に殺し、もっとも残酷に殺される最前線、ここに配置されるのは、黒人、ヒスパニック、貧しい家庭の白人】であったという事実だ。
殺したベトナム人からの指摘をきっかけに、その事実に気づいてしまったアレン・ネルソンは、銃を持つことが次第にできなくなっていく。
金持ちの白人の家のこどもが、ヌルい戦地に行ってちょうどいい戦果を持って帰ってぺらぺら喋る。冷房付きとは言わないが、三食と身の安全は確保済みだ。そんな英雄譚がチャラチャラ出回り、まるで従軍がちょっとした就職の選択肢のひとつのように提示される。
中年のアレン・ネルソンは息子の学校で海軍募集のチラシが配られたことに強く怒り、PTSDをおしてこどもたちに海軍のベトナムでの虐殺を語ることにした。あまりの苛烈な内容に、こどもたちは黙り込んだ。
アレン・ネルソンの話は、どんなにつらくとも聞かなければいけない。
でなければ、チャラチャラした甘い英雄譚に騙されてしまうからだ。
映画の最後に、原作本にはいなかった日本人の講演コーディネーターが出てくる。コーディネーターは語る。「自分の父親もフィリピンの戦争帰りでした」と。父が嫌いだったが、今から思えば、父もPTSDを患っていたと思うと。
それは人種なんかを越えた普遍的な事実だ。アメリカのアフリカン・ブラックのアレン・ネルソンも、日本の講演コーディネーターの父も同じくPTSDを患い、重い影を背負って一生を送った。その重さとはベトナムで、フィリピンで死んでいった、彼らが殺した人たちの重さだ。
兵役を免れられるのは、例えばトランプ大統領クラスの金持ち、だ(トランプはまさにその世代だがベトナム兵役を逃れている)。日本で言えば代々政治家か、保有財産数億以上の大金持ちのご子息、などになるだろうか。
アレン・ネルソンは語り始める。それはいわゆる「第四の壁」を破り、観客に直接訴えかけてくるかのようだ。戦争に行ってはいけない。人は加害をするようになる。人は変わってしまう。
今、加害者予備軍とカウントされている、ほとんどすべての人類が観るべき映画なのだ。
※とはいえ、映画館がなにせ少ない。原作本は非常にシンプルな文体で書かれていて読みやすいのでとてもオススメ。映画ではカットされているエピソードも多いので、こちらもぜひおススメする。
※あと、原作を読むようなら、スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』を観たことがある人は慄いてほしい。フルメタの前半の軍隊教育、あれがそのまま書かれていた。「教官から一人ずつに屈辱的なあだ名をつけられ、キャンプ中はずっとそのあだ名でよばれることになります」。ほほえみデブじゃん。
キューブリック、エグイこと考えるな~と思ったら単純に事実だった。シャレにならん。