マンガが好きだ。
映画も好きなんだけど、自分で時間をコントロールできないあたりでややはがゆいところがある(というか、むしろ「時間を委ねる」のが映画というメディアのキモなのかなとも思っている)。
その意味では毎週追いかけるドラマやアニメなんて絶対無理だし、参加型(つまり、自分の時間を捧げる)のゲームなんかも難しい。
ぺらりとめくって短時間で読めて、いつでもやめていつでも戻れる、マンガというメディアがしっくり来る。
選びはするがコンテンツを楽しみたいから、ことマンガについてはたくさん読んできた。一時期はサブスクで60誌くらい読んでたけどあれはやりすぎだった。今は数冊の雑誌とWebマンガ、それから自分で買った単行本を楽しんでいる。
そんな中、おれが更新を心待ちにしているマンガがある。講談社のモーニングで連載している『社外取締役 島耕作』である。
詳しい説明は省くが、昭和サラリーマンが社内政治と愛人関係でのしあがる長期連載マンガである。駆け引きとセックスで40年。信頼の厚いおっさんマンガである。
おれは島耕作に惹かれている。
この一文で今、このエントリーを読んでくれている人から引かれたのも感じているが待ってほしい。おれが島耕作を必ず読むのは、多分に露悪的なウォッチング…底意地の悪い観察である。
別になんの言い訳にもならなかったが、とにかくおれは島耕作が更新されると熱心に読む。
島耕作には「おれと違うもの」が詰まっている。
マンガの目的も、得られるカタルシスも、なにもかもがおれとかけ離れている。だからこそ興味深い。
会社内の政治闘争も愛人との別れ方もおれには縁がない。しかし島耕作世界ではそれこそがもっとも重要で大切な課題だ。おれの前をさらさらと流れていく謎の行動原理。「あっそれが悲しいんだ・・・?」という乖離した感情の動き。
島耕作を読んでいるとき、その差分からおれは自分の感情を再確認する。つまり、存在を相対化する。島耕作VSおれ。島耕作にあっておれにないものは何か。そしてその逆はなにか。島耕作の陰から、おれは自分を再定義する。
こういうのを現実のニンゲンでやってはいけない。そういうのは失礼なことである。マンガや映画など、作られたコンテンツならばいくらでもそういうことをしていいのだ。
しかし今の世の中、マンガといってもリテラシーの筋は通してくる。そうじゃないと売れないからだ。マンガはエンターテインメント商品である。
そこへいくと、島耕作は一本筋が通っている。いついかなる時もぶれずにおれと乖離してくる。こんなに安心な観察対象ったらない。
大変性格の悪いところをお見せしたが、おれはまじめだ。今日の島耕作も大変よかった。男女の恋愛のもつれと、金と権力にあかせてこの男女に介入する島耕作。ほっといてやれよ!
と、このようにワイドショーに悪口を言う系の用途でもやらせてもらっている。ただまあ、島耕作ってマンガ自体、おおよそそういう感じを狙っているのもわかっている。おれは詳しいんだ。だって島耕作ウォッチャーだもの。