私はおひなさまを持っていない。買ってもらえなかった。聞いた話では、女の子が生まれると母方の実家がおひなさまを買い与えることが一般的らしい。母方の祖母は当然、私が生まれたときにおひなさまを買い与えようとしたらしい。ところが、父方の祖母(同居)がそれをむげに断ったというのだ。「そんなもん無駄!」と。
幼いころの私はお人形さんが大好きだった。2月に友だちの家に遊びに行くと豪華なおひなさまが飾られていて、「すごいねー」と感嘆の声を上げ惚れ惚れしていたものだ。友だちのお母さんに「ミユキちゃんのおうちはまだおひなさま出してないの?」と聞かれ、「うちはおひなさまありません」と言うと心底驚かれた。令和ならともかく、昭和という時代、家に生まれた初孫が女の子であったなら、必ずおひなさまを買うものだ、と友だちのお母さんは考えていたらしいし、おそらくそれが多数派だったろう。
他の友だちの家に遊びに行っても、やはりおひなさまはあった。その後もずっと友だちにリサーチを続けたが、高校生になってもおひなさまを持っていないのは私だけだった。さすがにお人形さんに対する興味は失せていたのだが、事あるたびに「私だけおひなさまを持っていない」と、ネチネチと両親や祖母を責めた。祖母はそれでも「そんなもんいらん! 人形なんて食えんやろ! 金の無駄!」と言い切っていた。潔い。
私が20代後半のことだったと思うが、突然、母が職場に現れた。私はすでに結婚して家を出ていた。「あのね、ずっと気になってたんだけど、どうしてもおひなさま欲しいなら買ってあげるよ」と言うのだ。そのまま会社近くの商店街にある人形店に行ってみたが、季節外れだったこともあって買えなかった。おそらく母はずっと気になっていたのだろう。「お母さん、もうおひなさまいらんよ。お金がもったいないし」と言うと、ちょっと残念そうな顔をしながら「じゃあ、あんたに女の子が生まれたら買ってあげる」と言った。
10年ほど前、実家の片付けをしていて古い写真を見つけた。豪勢なひな飾りの前に座った赤ちゃんの写真だ。母に「これだれ?」と聞くと「あ……それ……あたし」と答えた。なぜずっと母が気にしていたのかようやくわかった。「あたしは豪華なおひなさまを持っていたのに、あたしの娘は持っていない。これはまずい」と引っかかっていたのだろう。
ふたりで人形店に行った数年後、姪が女の子を産んだと聞いた母がまた私の職場に現れた。「●●におひなさまを送ってあげたいから買いに行こう」と。私は母と一緒にあのときと同じ人形店に赴き、お内裏様とお雛様だけの人形を選び、アメリカまで送ってもらうよう手配をした。いま、母がおひなさまを送った女の子は男の子として生きている。母はそのことを知らない。
