グレゴリー・ケズナジャットさんのことを知ったのは偶然目にしたネット記事だったと思う。日本語で小説を書くアメリカ人作家に興味を持って『鴨川ランナー』を買った。この本には中編2本が収められているのだが、もう1本の『異言(タングズ)』に衝撃を受けてケズナジャットさんのファンになった。
私は翻訳をする前は某英会話学校の講師をしていた。そこでは英語ネイティブの講師と日本人講師が働いていて、初心者は日本人講師が担当していた。ネイティブ講師も日本人講師も授業は原則英語のみで行う。私が働いていた学校はアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアで採用された講師が研修を受けた後来日していた。日本で採用することはなかったはずだ。
ほとんどのネイティブ講師は日本語が話せない。それでも彼らがあまり困らなかったのは、世話好きな日本人講師(どの学校にも1人はいた)がサポートしていたからだ。だから彼らの多くは1年経っても挨拶とモスバーガーの注文くらいしかできなかった。
とはいえ、日本語に興味を持ち、日本の暮らしに溶け込もうと努力する人も少数だがいた。ただ、彼らに求められていたのは「ガイジン*らしさ」だった。会社は彼らの日本語教育に熱心ではなく、求人でも日本語力不要となっていたらしい。「講師が日本語を話せると分かれば、生徒は英語で話すことを容易に諦めてしまう」というのがその理由で、あながち間違ではいないが、日本人講師に面倒を見てもらい、挨拶だけを覚えて2年後に帰国する彼らを見送る度に「何しに来たんだろうなあ。まあ、金を稼げればいいのか」などと考えていた。
カナダ人講師のジョン(仮名)は過去に日本の語学学校で指導した経験を持ち、日常会話は問題なく日本語でできる親日家だった。授業が終わるとジョンは自分が担当していない生徒にも気さくに声をかけ、英語がなかなか出てこない生徒には日本語で声をかけていた。生徒からの評判は良く、彼のクラスに入りたいという人も多かった。「なんでジョンがいいの?」と聞くと必ず「だってジョン先生は日本語が分かるから」というのだ。
ところが会社はジョンに対し「学校内で日本語は控えるように」と注意をした。ジョンは来日直後からコミュニティに溶け込む努力をしていて、すでに学校関係者以外の友人も多かった。あるとき母に「あんたの学校にジョンって先生いる?」と聞かれてビックリしたのだが、母の知人とも親しくなっていたらしい。ジョンは契約終了後、県内の他の街に移り住んで英語教室を開いたと聞いた。「日本語が得意なガイジンさん」としてその街にすっかり馴染んだのだろう。
イギリス人講師のポール(仮名)は大学を卒業後すぐに来日したので23歳くらいだったと思う。日本語はまったく話せないが、ロシアとドイツに留学した経験があり、そのどちらも流暢に話せた。甘いマスクでユーモアのセンスもあり生徒にも人気だったのだが、2年経っても彼が学校で日本語を話すことはなかった。
あるとき、講師同士でレベルチェックの模擬インタビューをするという研修があった。私はポールとペアを組み、ポールが私の英語力を、私はポールの日本語力を判定することになった。レベルチェックに使う質問はだいたい決まっていて、普段使っている質問を日本語でポールに聞く。「お名前を教えてください」「ポールです」「出身はどちらですか?」「イギリスのワイト島です」初心者レベルの質問は難なくクリアしたのだが、ポールはその後もよどみなく中級レベルまでクリアし続けた。ロシア語やドイツ語を流暢に操る彼が2年も日本で暮らしていれば中級レベルをクリアできても不思議ではない。ただ、彼がその事実を私たちにずっと隠していたことに驚いた。
研修の後で「ポールさあ、なんで私らと日本語で話さないの?」「だって君たちは僕が日本語を分からないと油断してオフィスでいろんなおしゃべりしてるだろ? それが面白いから言わなかった。笑いをこらえるのが大変だけど。あと……日本語を話すとガッカリされることがあるしね」「だれに?」「だれってことはないけど、僕は日本語を流暢に話すことを期待されてないでしょ? ガイジンには英語を話してほしいみたいな?」というような会話があってちょっと考えさせられた。
ポールは4年ほど日本で働いて一旦帰国し、次は韓国で英語を教えていたらしい。きっと韓国語を勉強して話せるようになっても周りの会話に聞き耳を立てるだけで、期待される「ガイジン」を演じ続けたと思う。
ケズナジャットさんの『異言』にはジョンやポールのような外国人が出てくる。『異言』を読んだときに、ジョンやポールのことを思い出した。ケズナジャットさんの日本語は「流暢」なんて生易しいものではなく、奥行きや深み、鋭さがあるのだ。たまたま『異言』の登場人物にそっくりな知人がいたこともあるが、「あなたも彼らにガイジンらしさを期待していませんか?」と突きつけられたようで鳥肌が立った。外国語を学んだことがある人、いま学んでいる人なら何かしら刺さるものがあるのではないかと思う。できれば日本に住む外国人にも読んでほしいし、感想を聞かせてほしい。
ちなみに、ケズナジャットさんのエッセイも秀逸で、群像ウェブサイトの連載を楽しみにしている。イラン人の父親と日本旅行をした話にはグッときた。あまり書くとネタバレになるので、気になった方はぜひ読んでほしい。
ところで私は英語でどの程度表現できるかな?と思いたち、このブログで書いたものを英語にしたらペラッペラの文章ができあがって意気消沈したことがある。元がペラッペラだからうまく翻訳できたと言え……る?
*「ガイジン」は差別的な表現であり「外国人」と表現すべきですが、『異言』の中で使用されている「ガイジン」と同じ文脈に限りこの言葉を使用しています。