さようなら、わたしの貴婦人

MYK
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公開:2025/3/4

突然だが、終活の一環として車を買い替えることにした。

車の買い替えがなぜ終活なのか?と思われるだろう。穏やかな余生への第一歩として穏やかな車に乗り換えようと思ったのだ……と言いたいところだが、自動車税の負担が重いこと、ガソリン代が高いこと、膝や股関節が痛くて車高の低いスポーツカーの乗り降りがしんどいことが大きな理由だ。右肩関節唇断裂(大谷くんと同じ)でハンドルを右手で大きく切ることも難しくなった。

さて、女が大きな買い物をすると小さなモヤモヤがたまる。今の車に買い替えるときもいろんな場面でモヤモヤさせられた。まず試乗の予約をしてディーラーに向かったのだが、私の名前で予約をしていたのに営業担当者は夫を運転席へ促した。夫はビタ一文出さないのにだ。その前の車のときもそうだった。

そこで今回は納車まで秘密裏に実行しようと決めた。試乗に行くのも、買取業者に見積もりに来てもらうのも夫の出勤日にした。書類は全部目に付かないところにしまった。しかしこの作戦、現実的ではなかった。そこで、「車を買い替える」と伝えるだけにとどめ、ディーラーに足を運ぶのも契約などの諸手続もすべてひとりで行い、夫の介入をゼロにすることに。

買い替えを告げられた夫は大慌てである。ビタ一文出さないのにだ。5年ほど前から自動車税を払うたび、故障箇所を修理するたびに「今年は買い替える」と言い続けていたものの、口先だけで買い替えはないと思っていたらしい。

中古で買った車ということもあり、この数年は毎年のようにどこかを修理していた。エアコンのコンプレッサーが壊れて猛暑にお盆を挟んで2週間うちわで扇ぎながら運転したり、スロットルバルブの不具合でエンジンがかからなくなって洗車機から出られなくなったり、オルタネーターの故障でエンジンがかからなくなってレッカー呼んだり。つい先日もウォッシャー液がダダ漏れになっていたので部品を交換してもらった。月に1分のペースで時計が遅れても、燃料計のゲージがおかしくても、愛着を持って大事にしてきたつもりだ。汚れてはいるが。

20代半ば、転職して一人暮らしをやめて実家に戻ったときにフェアレディZを買おうとした。当時、実家にはすでに3台の車(父2台、弟1台)があり、「4台もいらんやろ!」と言われてしぶしぶ父または弟の車に乗っていた。離婚して実家に戻ったとき、実家には車が2台しかなく、私用に中古車を1台買うことになり、「じゃ、フェアレディZ買ってくる」と言うと、父に「現場行くとき用に脚立とか工具を載せられる車がいい。お前がいい具合の軽自動車を買ってくれば助かる。金ならばあちゃんが出すし、平日はお父さんの車を好きに使っていい」と言われて軽自動車で手を打った。その次に買い替えたときもまあまあ無難な車を選んだ。

10数年前、ものすごく仕事が忙しくて、朝から深夜まで働きづめの時期が2年ほどあった。そのときに「あ、今ならZ買えるな」と思い、20年越しに念願かなってフェアレディZを買ったのだった(ただし中古)。人間は2人しか乗れないし、荷物もあまり載せられない。実家の母には「そういや、あんたが小さいころお父さんがZ欲しいって言って大変だった。子供がおるのに家族全員乗れない車買ってどうする?ってばあちゃんに怒られて諦めたけど。お父さんじゃなくてあんたが買ったわけね~」と苦笑いをされた。

普段は近所のスーパーに買い物に行くだけだし、頻繁に遠出するわけでもない。明らかにオーバースペックだったが(なんせ300馬力超なのだから)、アクセルを踏めば期待したとおりに加速して、ブレーキを踏めば期待したとおりに止まってくれるこの車は、山を越えて佐賀と福岡を往復するときの頼れる相棒だった。高速道路でもまったくブレることなく涼しい顔で走ってくれた(90km/hくらいだと思ったら……なんてことも多い)。「10年も乗るかな?」と思っていたが、結局、12年以上乗っている。

都心部に住んでいる人にはピンとこないかもしれないが、私にとって車はずっと「自由の翼」だった。車社会の佐賀では公共交通機関だけで暮らすことは至難の業だった。父がいないと自転車で行ける所にしか行けない、だから16歳になったらすぐに原付の免許を取り、18歳になったらすぐに車の免許を取った。元夫から逃げるときも元夫の車を強奪した形で逃げた(車はすぐに返したので無問題)。

私の新しい自由の翼はこれまでより環境にやさしい。そしてなによりお財布にとてもやさしい。それでもZと別れるのはとてもさびしい。買取業者に「あまり走行距離を伸ばさないでください」と言われてはいるが、最後にちょっとだけ遠出をしよう。予定より早く引渡しをするのだから勘弁してもらおう。

@imyk_ja
福岡在住の英日実務翻訳者。猫と酒とロックが好き。