高校に入学すると、まず校歌の特訓があった。ネットで調べたところ、歌詞は4番まである。フルコーラスで練習したのかは定かではないが、練習しながら「これ、卒業式でしか歌わんやろ?」と思ったのだ。
私が通っていた県立高校は当時、西日本一のマンモス校で(本当かどうかは知らない)、1学年13クラス、いちおう進学校ではあるのだが、自主・自立を重んじる方針だったせいか、ゆるかった。なんというか、生徒も教師もちょっとゆるいのだ。そのせいか、みんなが楽しそうな学校だった。0時限目もないし、夏休みの補習もない。夏休みは小・中学生と同じ日数ある。他の進学校に進んだ友人からは、「楽そうでいいなあ~」と言われていた。その反面、大学現役合格率はちょっと低く、予備校進学率が高かったため、「4年制高校」と茶化されていた。他校に比べてスポーツに力を入れていると言われてはいたが、当時の県立高校にはスポーツ特待生制度はなく、強豪と呼ばれるような運動部はなかったように思う。
予想どおり、校歌を歌う機会は卒業式くらいだった。体育祭でも歌ったかもしれないが、とにかくゆるい学校なので歌ったとしてもゆるく歌ったに違いない。あんなに特訓する意味あったのか?と思っていた。2007年までは。
2007年夏。母校が甲子園に出場した。もちろん、誰もが1回戦敗退だと思っていた。「高校のいい思い出づくりができるね」としか思っていなかったはずだ。だから1回戦で勝ったとき、私は「また校歌を歌うとは思いもしなかった」と言いながら一緒に歌った(なにより卒業から20年以上経っていたのに歌詞を覚えていたことに驚いた)。その年、彼ら(私たち)は一番多く校歌を歌った。多くの同級生が、自宅で、職場で、起立して校歌を歌ったらしい。あの頃ゆるく、だらだらと歌っていた校歌を。そして誰もが「ああ、こうして校歌を歌うのはこれが最後だろうな」と思った。その後、何度か甲子園に出場したらしいが、校歌を歌うことはなかった。2025年までは。
2025年夏。同級生や家族から「県大会で優勝するかもよ?」とメッセージが来た。便利な時代になったもので、地方予選もネットで配信されている。野球に興味がないので、スマートフォンで動画を流してチラ見していたのだが、勝ちが濃厚になった途端、テレビ画面に切り替えた。試合終了後、私は泣きそうになりながら自宅リビングで校歌を歌った。甲子園で校歌を歌うことは無理だろうが、はち切れんばかりの笑顔で楽しそうに校歌を歌う少年たちの人生に幸あれと祈りながら。
ところがである。8月9日、私はまた自宅リビングで校歌を歌うこととなる。少年たちは、大舞台でも実に楽しそうにはつらつと野球をしていた。強豪校と違い(スポーツ強豪校への偏見フィルター全開)指導者も選手も背負いすぎず、楽しく全力でプレーをしている姿がまぶしかった。
私はやはり野球には1ミリも興味がない。とくに強豪校が醸し出す(と勝手に思っている)あのバイブスが嫌なのだ。指導者も選手も楽しそうに見えないのだ。2007年もそうだった。「県立高校に負けるなんて……」という苛立ちがにじみ出る強豪校の監督の表情や態度が嫌だった。運動部とは縁がない私は、「負けたところで、この世の終わりでもあるまいに」と思ってしまう。
後輩たちは15日、大分代表と対戦する。再び満面の笑みで躍動する姿を見せてほしい。体のあちこちに痛みを抱える歳になった卒業生たちが、テレビの前で歌う気満々でスタンバイしているよ。