初恋と日記

さわの
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私の初恋は小学一年生のとき。相手は入学初日に隣に座った男の子で、今でも名前と顔を覚えている。一緒に日直の仕事をしたり、遠足で手を繋いだり、先生に並んで怒られたり、家の方向が同じだったので一緒に帰ったりした。私はたぶん相手のことが好きで、向こうも私のことを他の子とはちょっと違う感じで接してくれて、当時は好きという気持ちもよくわかっていなかったと思うけど、ドキドキしたり甘酸っぱい気持ちを感じていたと思う。だけど、「初恋が終わった」という感覚を味わったのはその男の子相手じゃない。小学4年生に上がるタイミングで、私は父の赴任先である北京に住むことになった。転校を余儀なくされたので、その男の子とはそれっきりになった。だから、そもそも恋であることを明確に理解していなかった私は、初恋が終わる、という感覚を味わう暇もなかった。

そういう意味では、私が「恋が終わった」と初めて感じたのは、北京から日本に帰国するときだったのだろう。当時好きだった男の子とは、告白もしたし、両想いだったし、でも北京で出会っている限りいつか終わることを知っているからお付き合いには発展しなくて、私が先に帰国をした。中学一年生の夏。だからだと思う。私が想像する恋のきらめきというのは、いつも初夏の風や日差しの色形、匂いを纏っている。

初恋は実らない、とよく聞く。実る人もそりゃいるだろ!初恋相手と結婚する人だっているよ!とは思うものの、初恋っていうのはキチンとした終わりがあってはじめて「あれは初恋だったのだな」と振り返って美しいものとして保存できるもののような気もするので、実らなかった初恋のほうが、キレイな思い出として記憶に残るのかもしれない。だからこそ「初恋は実らない」という文句(文句? ジンクス? おまじないかもしれない)が流通するのかもしれないな。それはそれとして、推しカプには初恋からそのままゴールインしてほしいですが。

そんなことを、朝ドラを見ながらつらつら思い出していた。

これを読み返している未来の私へ。

また朝ドラか~~~~~い!と思った?今の私も思ってる!

今日は花岡と寅子の恋が終わった日だったんだけど、その終わり方が素敵だった。

恋、というか。恋愛には至っていない二人だったのだけど、花岡のほうは明確に寅子が好きで。でも好きになったのはとてつもない大きな夢を掲げて邁進する寅子で。奮闘する寅子に対して、東京を離れて佐賀に赴任する自分に着いてきてくれ、だなんてとても言えなくて、「好き」という言葉も全部飲みこんで「ありがとう」とだけ言って握手をして別れる。飲みこんだ言葉の重さだとか、気持ちの大きさだとか、応援してるけど諦めきれないでも自分が縛り付けるわけにはいかない、その葛藤だとか。すべて花岡を演じる岩ちゃんさんの演技に込められていて、ちょっとすごかった。

ちょっと前の日記を読み返してみると、「花岡~~~~~!!!!」とか叫んでるのがウケる。もはや花岡さんですよ、花岡さん。さんを付けろよ。

実らなかったけど、花岡さんのなかでは誠実に終えられた恋だったんじゃないかと思う。きっと思い出で輝く初恋。

ところで、この「相手が輝くために自分に出来る最適解を採る」っていう関係ってやっぱり好きすぎるなと思った今日の胸の高鳴りであった。大河のふたりもそうだし、好きになる推しカプの半分もそう。(半分? あと半分は、真逆のタイプである)

どこかの媒体で、「一番大変だった時期に恋人に依存せずに自分で乗り越えてしまった人は、恋人を必要としなくなる」というのを読んだ。科学的な根拠はなく、ただの所感ではあるのだけど。このどこかの名無しさんの所感については、私としてもかなり賛同できるものがある。人間ね、ご飯食べてクソして自分に合った息抜きをして寝りゃなんとかなんのよね。時間は有限で、依存する誰かを探してフラフラしている時間はない。

それでも誰かをどうしようもなく好きになったり、止められない恋や愛に苦しむ、という事象が存在するのは、それってもはや出会いがしらの交通事故みたいなもので、自分ではコントロール不可の運命だから。素敵ですね(他人事…)。他人に依存せず、相手の尊厳を尊重して、誠実に己の道を征く寅子や花岡が、そういう出会いがしらの運命的な素敵な恋にふたたび出会えますように…!と願っております。

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