これ私の鍵垢のツイートなんだけど(鍵垢を晒すな)、月に一度はこれが強くなる時があって、それはまぁつまりホルモンの影響でもあるので仕方がない。この世は悲しいことと怒りを感じることだらけで、右を見ても左を見てもなにをしていても何かしらの理不尽が転がっているんだと思う。大人になるにつれて、理不尽に気がつきやすくなった。SNSの影響もあるのかもしれないけれど、例え自分が享受する理不尽でなくても、他人が理不尽に苦しめられている場面に気が付きやすくなってしまった。いちいち立ち止まって、どうして同性婚は認められないんだろう?社会の枠組みとして認めちゃいけない何かがあるんだろうか?とか、労働はしんどいとか、低賃金で働いている人がいること、日本の経済力の低下、戦争は終わらないし、政治は不透明、疫病も心配だし将来への不安もあるし、男女の考え方の違いなんか100万年前から埋まらない溝があるし、夫婦の喧嘩は見飽きたし、おじさんもおばさんも煩い人は煩いし、年下は怖いし……言い出したらキリがないな。とにかくそんなようなことをいちいち考えていて、他方で、常にどこかで「何もかも知らね〜よバカ!!」という気持ちがうっすらある。全部放り出してこの世界の舞台から降りられたらめっちゃ楽だと思う。そういう希死念慮にも満たないモヤモヤってまぁ危ないんだけど、でも幸いなことに私が好きになった二次元や三次元の好きな人たち、尊敬する人たちは理不尽な状況になっても抗って生きている人たちばっかりなので、彼らが心の中にいてくれるうちはなんとか頑張りたいよな、とも思うのだった。
でもこのまま行くと私はすごく「なんとなく」で生きていくことになるな、とも思っていて。希死念慮を宥めつつ、やり過ごして人生を終えるみたいな。
死にがいを求めて生きているの、という本がある。朝井リョウさんの本。私は今みたいなモヤモヤっとしたものが積もり積もったとき、たびたびこの本の内容を思い出している。
この前、Twitterをスクロールしていたときに見かけたガザ侵攻への抗議署名に、なんとなく参加してみた。なんとなく?いや、ガザ問題への関心はゼロではないけれど、少なくとも私は今までそういう署名に参加したことって一度もなかった。そのツイートをRTしていたのは私が好きでリストに入れて見ている人で、その人がこの問題に強い関心を持っていることは知っていた。そのときに時間があったっていうのもあるし、私ももう少し問題をよく理解したいとも思っていたから目に入って、気がついたら署名をしていた。
それで思い出した。死にがいを求めて生きているの。
デモに行く人や抗議に積極的に参加する人を攻撃するしたりこき下ろすような意図は全くない。
ただ署名をしてからスマホの画面を閉じて、その時の私が思ったのは、今の私みたいに全てがモヤモヤッとしていて、ただ何かに熱くなれるような……人生を賭けてもいいと思ってしまえるような拠り所を探している人にとって、こういう正義への加担って危ないのかもってことだった。スッて冷静になって。いま私がやったことって、死にがいを求めていることに他ならないのかも……って思っちゃった。少なくとも、今の精神状態の私がやっていいことではなかったと、私は私自身の身体の支配者としてそう思う。もっときちんと考えて、精神に振り回されずに思考を持って署名を下したいと思います。知らねーよバカ!じゃない状態の時に。
今日の私も「うるせ〜!知らね〜!」の合唱であった。ほんっとにこの状態って辛くて、何か楽しいこと考えなよ!って自分でも思うんだけど、楽しいことを考えても長く続かなくて。趣味だって楽しいことばっかりじゃないでしょ?唯一何も考えずに楽しめる時間ってお金使っている時くらいじゃない?と思う。(でも使ったあとに虚無の時間が発生するんだけど)
でもこういうのってやっぱり苦しみ続けることしか瓦解の方法ってないのかなとも思って。だってこの世が理不尽に塗れているのは当たり前だし。もうさ〜真実に美しく、何の汚れもない事象なんてこの世にはないので……いや、そんなことはみ〜〜んなしってるか。
まぁでもさ〜こういうことをツラツラ文字に書いてるだけでもなんとなく落ち着くっていうのはあるよね。いや別に誰に語りかけてるわけでもないんだけど……。たぶん、文字にすらできないモヤモヤ星人だったら、ビッグサイズの理不尽が自分にぶつかってきた時にビッグバン起きてしんじゃってるかも(マイルド表現)しれんしな。