10年以上前からSNSにどっぷりだから、SNSの潮流を世論と勘違いしてしまう節が自分にあることは自覚しているのだけれど、ここ数年の社会、「如何なる場面においても正しいとされる行動」をみんなが求めてる気がする そんな感覚をぼんやり抱いている 最適化というのかしら……
バズったツイートがあると、そのツイートに関連する話題、賛否両論がおすすめ欄に流れてくる。直近で言うと、小さいお子さんがケーキの箱を自分で待ちたがって困っていたら、店員さんが空箱をくれたというもの……。あと車椅子の問題もわりと長く燃えていた気がする。
「たしかに親切な行為だけど、ツイッターで言ったら全国のケーキ屋さんがそうしなければならなくなる」という批判を見た。言いたいことはもっともだと思った。思ったけど、思ったけど…!
報告したツイート主がもしかしたら別途ちょっと問題がありそうな人だとか、その辺の事情は置いておいて……"ケーキ屋で受けた親切な行為をツイッターで報告すること"という個別具体的な事象だけを観察したとき、果たしてその行為は最適化されるべきものなのかな?という気持ちになる。
全国のケーキ屋さんがそうしなければならなくなるって、言いたいことはすごくよくわかるんだけど、じゃあそれを危惧してツイッターで「そういう報告(親切にされたとか、映画館で車椅子を押してもらったとか)」はしないようにしようね♪ と最適化しようとする潮流が、私にとっては誰にとっても不利益の少ない社会を目指そうとしているように見えてしまって、なんかちょっと気持ち悪いなぁって思うんだよね。そういうことがここ数年のSNSを見ていて増えた気がする。ずっと国会の討論の場にいるみたい。好き勝手やってるSNSだったのに。