ある朝、眼が覚めると、目の前に見知らぬ猫が居座っていました。布団の上に乗っているので、何かに押しつぶされそうになった夢を見ていたのはこやつのせいかと、悪夢の汗の理由を理解したのです。でも、どうやってこやつは、私の布団の上に乗ったのだろうか。カーテンが風に揺られているので、よく見ると、網戸が開いているではありませんか。昨夜、少しの暑さにひんやりとした風を浴びたいと、開けていた窓から、どうやら猫は侵入したようです。
野良猫にしては綺麗な毛並み、真っ白な毛布に、黒の模様が所々に、ヒゲは立派に生え、目やになど一つもない、飼い猫であろうか、私はこの猫の瞳に吸い付かれそうになりました。しばらく猫を観察していると、猫は一つあくびをし、再び私を覗くような姿勢で、じっと見つめているのでした。どうも居心地が悪く、布団から抜け出そうと、猫が乗っている足元の方でもぞもぞと足を動かしたところ、猫は今度は胸の方めがけて歩いてきます。そうか、この布団の上にいたいのだな、でもわたしも起きなければならない時間帯、猫と戯れる余裕もないのだ。仕方がなく、猫を両手でどかそうとすると、猫はその手に噛み付くではありませんか。甘噛みではあるものの、私がここから動くことを阻止するような行動に、私は困っていました。
この猫は一体どこから来て私に何を伝えたいのだろう。深読みをするも、ただの猫だ。意図はないのであろう。そうこうしているうちに、本来なら朝ごはんを食べている時間帯に突入してしまいました。今日はご飯抜きだな、そう考えていると、胸のあたりで硬直している猫が、にゃーと鳴きました。何でしょう。にゃー。何を伝えたいのでしょう。私は猫の言葉が理解できません。そして猫はそれを知りつつも、私に何かを訴えています。餌であろうか、それとも国家の機密情報を暗号として知らせようとしているのだろうか。にゃー。その瞬間、私の頭の中に、ある言葉がよぎりました。
そうやって、理解することをあなたは諦めてしまうのね。そう、人間同士の相互理解なんて、あんなの知っているつもりで成り立っているようなもの。あなたの受けた痛みが、私にとっての痛みじゃない。でもあなたはそれを理解して欲しいって思うでしょう?でもその痛みはわたしにはわからないの。その逆もしかり。わたしが受けた痛みは、あなたにはわからない。わかったふりをして頭を撫でているだけ。本当に理解し合えることなんてないのよ。
今、あなたが抱えている不安も、絶望も、全てなくなれば、あなたはハッピーかもしれない。でも、あなたが受けた傷と、わたしが受けた傷、偶然にも一緒だった時、私たちは、心の底から繋がれた。この上ない幸福感よ。だって、言葉で言い合う必要がないんですもの。感覚として、わたしとあなたはそこで強い繋がりが持てた。そういうことよ。だからね、あなたが今抱えているもの全てに意味がないなんて思わないでよね。もしかしたら、それは、誰かを救う手立てになるんだから。忘れないでよね。意味のないものなんてこの世にはないのよ。あなたが苦しんでいても、その苦しみは必ず光を纏う瞬間があるの。そう信じて生きていきなさい。わたしはあなたをいつまでも見守っているわ。
ふと眼が覚めると、涙が溢れていた。布団の上に乗っていた猫はいつのまにか消えていた。あれは夢だったのだろうか。カーテンは風に揺られている。現実は、残酷なほどに時を刻む。