ここのところ、む?あれ?何に引っ掛かっているんだろう?となる出来事があった。
そういう違和感を紐解くのは嫌いじゃない。気分がいいわけじゃないけど、世界のこんがらがりの糸を少し解いた気になるし。
少し前、とあるSNSで行きたい場所の話を書いていたんだけど、
ついたコメントが「わたしもーー好きです!」とか「ーーの〇〇がお好きでしたら」だった。
わたしは好きな場所の話はしていない。
行きたい場所は、興味があって、理由があって行きたい。好きかどうかまだ判断していない。もっと言えば好きかどうかは問題じゃないかもしれない。いろんな価値判断はこれからで、いろんな理由でそそられるから行きたいんだ。
そこへ一足飛びに、その人の価値判断を持ってこられることに苛っとするんだなわたし、と気づく。と同時に、興味がある=好き と捉える世界観はわかりやすく可愛らしいなとも思う。でもちょっと解像度荒くないですかね。コミュニケーションエラー起こってませんか?それで人のせいにしてませんか?そこにも気付いてないのかな。
その他にも、そこには言及してないんだけどな…ズレたお返事…ということもあって、なんともいえない気持ちになった。うまい喩えがみつからないんだけど。
でも。こういう発見があるから人付き合いの判断はなされる。早めにわかって良かったし、判断できたからそれでいいけど、釈然としないのね。釈然とするには言語化しかなくて、はやくこれこれ!という表現に辿り着きたい所存。