SSSS.DYNAZENONを読む。"怪獣"と、かけがえのない不自由について。

いのま
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#エンジニアニメ #エンジニアニメアドカレ2024

これは、「アニメから得た学び Advent Calendar 2024」の記事です。当該イベントは現地参加こそできなかったものの、とても気になっておりまして、この度アドベントカレンダーという形で参加できることを嬉しく思います。

私は、「SSSS.DYNAZENON」を観て、「創作(あるいはそれに準ずる何か)に対する向き合い方」について考えました。今回はそれについて書きます。

SSSS.DYNAZENONという作品について、未視聴者の方へ

特撮作品の「電光超人グリッドマン」を大胆に再構築した作品として、「SSSS.GRIDMAN」が放送されました。SSSS.DYNAZENONはその続編です。SSSS.GRIDMANで提示したテーマを別の側面から描いている作品だと僕は思っています。

また、子どもたちが素直に観てもめちゃアツいし盛り上がるし面白い作品だと思います。ロボもかっこいいぞ!!そしてその上で、制作陣が伝えたい思いも強烈に込められていると強く感じます。そういうとこも特撮っぽくて好きです。

(画像:SSSS.DYNAZENON公式ホームページ キービジュアル第一弾 より)

怪獣は創作のメタファー

さて、本筋に入ります。前作で新条アカネの正体が明かされ、SSSSシリーズが、「創作」を作品のかなり深いところに題材として組み込んでいると示されました。SSSS.GRIDMANを最後まで見た人が、「怪獣」は「創作」のメタファーなのではないか、と思うのはある程度自然なことだと思います。ダイナゼノンはその続編。このメタファーを前提に、更なるメッセージを盛り込んだ作品である。これを前提に、感想を書いていきます。

「創作」よりももっと抽象度を上げて、「没頭しちゃうもの」のような言葉で「怪獣」を読み解くのも良い(むしろそうあるべき)と思っています。ただ、今回は「創作」として話を進めます。あなたにとっての「怪獣」はなんでしょう?

怪獣優生思想と創作者

怪獣が創作のメタファーだとすると、劇中の台詞にどんな味が生まれてくるか。

(画像:SSSS.DYNAZENON公式ホームページ/登場人物紹介 より)

人の情動が怪獣を産む。

——シズム/怪獣優勢思想

シズムのこのセリフは、そのまま「人の情動が創作を産む」と読み替えられます。これはかなり直接的で、わかりやすい。ダイナゼノンでも引き続きこのメタファーを扱っていくぞ、という提示の役割もあった台詞なのかもしれない、と思っています。「怪獣の力さえあれば時間や空間、生きることや死ぬことからも解放される」という言葉も、永い時を超えて遺る作品について言及しているように聴こえます。「怪獣=自由」というテーマの提示でもある。

 特に、「怪獣使いは怪獣を失うと人間に戻ってしまう」はすごく、シズムの思想が表れてるセリフというか。逆説的に、創作をやってる人間は人間じゃない、ってことに自覚的なことがわかりますよね。「本当の怪獣使いは眠らない」も併せて、「寝る間も惜しんで創作するようなやつだけがホンモノ」みたいなよくある言説を想起させられました。僕にとって、そういう主張を聞くのは耳が痛いです。そもそも、「怪獣優生思想」という名称も、創作する奴こそが偉いんだ!っていう一部の界隈で見られる創作者至上主義の言い換えっぽい。

 シズムに加えて、ムジナもとても魅力的なキャラです。怪獣優生思想でありながらも、初期はさほどやる気を見せない。「他の人みたいにやりたいことなんてないんだよ」という悩みを吐露する。ただ、いざ自分が怪獣を操ると豹変し、情熱的になってしまう。これって、創作に取り組む人にすごく似てませんか。創作から距離を置いていたのに、一度ペンを握ってしまうともう夢中になっちゃうような。僕には、怪獣優生思想が創作に取り憑かれた人たちに見えて仕方ありません。

私には怪獣しかないって、わかっちゃったじゃん!!

——ムジナ/怪獣優生思想

怪獣使いにならなかった蓬

(画像:SSSS.DYNAZENON公式ホームページ/登場人物紹介 より)

さて、怪獣優生思想が創作をすることに取り憑かれた人々であるならば、ガウマ隊の人々はどうなるでしょうか。最終話、シズムと蓬の対話が印象的です。シズムは蓬が見せた怪獣使いの素質を指摘しますが、蓬は怪獣使いになることを拒否します。その理由は?

これから嬉しいこととか、苦しいことを味わって、生きていたいから。

——麻中蓬

 もし蓬が、「怪獣」を何かのメタファーではなく単に暴力的なモンスターだと捉えているなら、「怪獣は人に迷惑をかけるから、怪獣使いにはなれない」などと断るのが直感的なはずです。でも、ここで蓬はその類のことを一切口にしないですよね。蓬のなかで「怪獣」の解釈が確立されているとわかる。

 蓬は怪獣使いになる才覚はあったけど、その道には行かなかった。絵の才能があっても絵描きにならない、歌がめちゃくちゃ上手くても歌手にならない、とびきりの美形でもアイドルやモデルにならない人たちがいる。これらはどれも茨の道で、大切な日常を捨ててやっと土俵に立てる世界だから。才能があっても日常を選びたがる人って結構いると思う。そういうシーンなのかな、と思いました。

創作と、代償

 創作(や、それに準ずる「没頭しちゃうもの」)って、ものすごく時間も労力もエネルギーも必要とすることだと思います。だから、何かに縛られてちゃやってられない。捨てなくちゃいけない。現実には「部屋で8時間は練習しろ 友達を失くすまで出かけるな」といったギタリストもいましたね。それって、茨の道を進む上ではすごく正しい。だからシズムは蓬の言い分が理解らない。なんてったって、彼は眠らない怪獣使いですから。

 蓬は、怪獣優生思想の人たちみたいに、怪獣に全部を捧げる決断はできない。創作よりも、情動に溢れる日常を生きていたい。

 そう思うと、シズムが感情を全く見せないキャラであることも意図的な気がしてきます。彼は自分に足りない情動を補うために、蓬と夢芽を観察してたのかな。

不自由と人間らしさ

この作品には、「怪獣=自由」というテーマがある、と途中で述べました。そして、「怪獣使いは人間じゃない」。つまり、SSSSシリーズが描く「人間らしさ」とは。

働かなくちゃいけなかったり、学校に行かなくちゃいけなかったり、すっごく不自由な日常。でもそれって、ほんとはしなくてもいい。いきなり全部ほったらかして、全てから自由になることも、できちゃうわけで。

でもそうしないなら、僕たちが、自ら、『かけがえのない不自由』、つまり人間らしさを選びとっているんだって、そう考えるのも悪くないのかも?

SSSS.DYNAZENONは、そういう作品だったのかな〜〜って思っています。

俺は自由を失うんじゃないよ。"かけがえのない不自由"を、これから手に入れていくんだ。

——麻中蓬

おわりに

「アニメから学んだこと」の記事なので、ここらで現実の世界に話を戻します。

僕は、シズムのように何か一つのことに24時間没頭し続けられるバケモンみたいな人に対して憧れを持ちながらも「僕の生き方はああじゃないかもな」と、後ろめたさとともに感じていました。そういう人って少なくないはず。

でも、ダイナゼノンではそのような、怪獣優生思想ではない人にこそフォーカスが当たって、それを肯定してくれる作品でした。僕にとってすごく、マインドの上での転換点になってくれた作品なんですよね。

以上になります!素敵なアドベントカレンダー企画を立てていただき、ありがとうございました。

(画像:SSSS.DYNAZENON公式ホームページ キービジュアル第一弾 より)