中学校からのお手紙が「すべてのものが清らかで命輝く頃となりました」という出だしで始まっていた。
すべてのものが清らかで……命輝く……。
なんてカッコいい文章書くんだ中学の先生は……と思ったら四月の時候の挨拶らしい。知らなかった。無駄に感動しちゃった。言ってよ。
とはいえ、カッコいいのは変わりはない。「すべてのもの」が「清らか」で「命輝くころ」である。この世のすべてのものを全肯定できる季節、それが春ということだろう。
どうも自分は「すべてのもの」と言い切っちゃうところにカッコよさを感じるような気がする。根拠はないけど言い切っちゃうし、それなのに言われたほうに「そうかも」と思わせる。そんな力強さに憧れる。
そして「清らか」と「命輝く」である。どちらも見た目というより内面の話であり、どんな景色でもこの人には世界がキラキラして見えるのだろうなと思う。嬉しくて仕方ないだろうな。帰り道も遠回りしてスキップするだろうな。
で、最後に「……となりました」と続く。これだけ昂っているというのに、ただの手紙の前振りに過ぎないという贅沢さ。すごい。心して中学校からの手紙を読もうじゃないか。
ネットリテラシー講座のお知らせだった。なるほど。
確かにSNSの危険性について知るのは大事である。スマホを置いて命輝くころを体で感じたほうがいい。外に出るんだ中学生。すべてのものが清らかだから。