「この家の間取り図に隠された真実とは?」を、ひつじねいり松村さんに読んでもらい、『変な家』の宣伝を大喜る人たちにしたい。
そんなことはさておき。
外に出て人と話すと、「いま自分の話ばかりしてて良くないな」という思いと、「自分の話を誰かに聞いてほしいな」という思いが交互にやってくる。なので最終的に「自分の話ばかりしてしまった」か「自分の話を聞いてもらえなかった」の、どちらかの後悔が必ず残ることになることに気付いた。そういうことだったのか。
そうなると「おじさんがお金を出して話を聞いてもらう場所」があることにも納得がいく。カウンセリングだったり、夜のお店だったり。
すごい昔、会社の人に連れられて一度だけキャバクラに行ったことがある。でも初対面の人との会話にすごく気を使い、ヘトヘトに疲れて帰ることになり、夜の交差点で信号を待ちながら「なんで高いお金出して疲れているんだ!?」と気付いてから行ってない。
あとカウンセリングも行ったことあるけど、「こんな言語化されていないモヤモヤした感情をうだうだ聞かされても困るのではないか」と、悩みを分かりやすい形に編集して伝え、「まぁ、そういうことになりますよね」という感じに終わったりもした。
なので「お金を出して話を聞いてもらう」も、自分には向いていないのではないか。
もう空き地に穴を掘って叫ぶしかない。僕は王様の耳がロバの耳だったの見ちゃったんだ!王様の耳はロバの耳!
また自分の話ばかりしている。