娘が「ドラえもん筋トレを教えてあげる」という。ドラえもんの曲にあわせて筋トレをするそうだ。なんだそれは。楽しそうじゃないか。
いやしかし「ドラえもんの曲」といってもいろいろある。星野源から大山のぶよまで幅が広すぎる。あったまテッカテーカとか、ハァ~ドラリド~ラリの~とかあるじゃんと話したら「ドラリドラリのって何?」という。ドラえもん音頭だよ!? 知らないの!? と驚くと、ドラえもん音頭ってそれじゃなくない!? ドリランパリランでしょという。
ドリランパリランとはなんだと思うも、このままでは水掛け論になってしまうので、YouTubeで「ドラえもん音頭」を検索すると、なんと2つのドラえもん音頭があるではないか。
アラフィフの我々にとってドラえもん音頭といえばこれであるが、
平成生まれの子供たちにとってドラえもん音頭はこれだという。そうなんだ。
世代によって「ドラえもん音頭」の認識が違うというのは新たな発見だった。道行く人の頭の中の「ドラえもん音頭」が、僕の思う「ドラえもん音頭」とは限らないのだ。人の営みとは多様であることを思い知らせてくれる。
冷静になってみればドラリドラリもドリランパリランも、なにを言ってるかわからない点ではそんなに変わらない。世代を超え、仲良く手を取り踊ろうではないか。はっはっは。
ドラえもん筋トレについて聞くのを忘れた。