個としてある人の頼りがい

inota
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人間には個性がある。それはもう万人万色。

けれどこれをわかりやすく見せられる人と、そうでない人がいる。自分は中間くらいにいる。そんなことを最近、ふたりほどの明確な個性を見てそう思った。

ひとりはLGBTQ+当事者、ひとりは何事もハッキリしていて人の内面にズバッと切り込める特徴を持っている。これはいずれも、自分を大事にしているからこそ行える表現ではないかと思う。彼らはいずれもアサーティブだった。

もちろん、万人に好まれるものではない。けれども彼らの懐に入った時、不思議と落ち着く感覚を得た。私の目をまっすぐに見て話す彼らから、脳裏では「自分はこうだよ、あなたは?」という問いを受け取っていたように思う。

"個"としてそこにハッキリと存在する人は、周囲の個すら目立たせる。

まるで光源である。なるほど、だからコミュニケーションのMPが尽きているときはそういう人と話すのは疲れるのかもしれない。

アサーティブなコミュニケーションはまず自分がアサーティブになることから。MPの余裕がある時に、自分の芯を出すコミュニケーションを試みていきたい。

@inota
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