デモについて

森本
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 駅前で、イスラエルに対するスタンディングデモをしている人たちがいた。7人くらいで、太鼓を叩いて大声でチャントを叫んでいた。自分は高架橋の上からそれを見ていた。まわりにはたくさんの人が行き交っていた。

 こういったデモを見た際、主張する内容の如何以前に「活動家っぽさ」みたいな部分を拒絶する人は、少なからずいるんじゃなかろうか。今の日本人の多くは政治的な発言に対して強い忌避感があるとよく言われている。このデモはそういう人の目に、「なんか街中ででかい声で政治のこと叫んでるヤバい人たち」と映ってはいないだろうか。もちろんデモは有意義で、国内で反戦の空気を醸成するためにも一役買っていることは間違いない。ただ、大多数を占めているであろう「政治とかヤバw」の層を振り向かせるのはなかなか難しいよなあといつも思う。「日本でデモなんてやっても意味ないのに」とか噛みついてくる人はまだ対話の余地があると思われるが、それすらも感じずに素通りする層をどう振り向かせればいいのか。

 著名人やインフルエンサーを名乗っている人たち、どんどん反戦って言ってくれないだろうか。なんだかプロパガンダくさいが、だからこそそれが一番有効な気がする。アジカンのゴッチは「子どもを殺すなって言って仕事が減る社会ならそっちのほうがおかしい」というようなことを言っている。その通りだ。様々な問題において声をあげられる空気ができつつあるのを最近感じるので、政治的発言についてもこのような認識が一般化されるといいなと思う。子どもの命守るために自分の影響力使うのって一番かっこいいと思うよ! ほんとに。 好きな対象やファンダムのみんなが言ってるなら自分も言うわ戦争反対😠という人、かなりいるんじゃないかと思う。そうして真に無関心な層をどんどん巻き込んでほしい。それは、デモ然としたデモを実直にやってくれてる人々にはどうしてもできないアプローチだから。

 自分は大きい集団に連帯することにどうしても抵抗がある(向く方向が同じでも細かいスタンスは各々異なるものであり、その違和を無視して声の大きい人に合わせるのは自分にとってつらい)。だからデモには参加していないが、自分の納得できる方法でできる範囲のことをしたいと思っている。こんど知人がフリマ的なものに出店するというので、フリーパレスチナのタグを作り、スペースに置かせてもらうことにした。同じようなスタンスでいる人、問題意識はあるけれど声を上げるのは怖いというような人が、タグをもらっていってくれたら嬉しく思う。