だ らく

inuikei
·
公開:2025/8/15

 手のなかに、卵の殻が割れている。

 誰がいつ割ったかもわからない片割れの、丸い内側に留まった白身と黄身が私だとわかる。

 傾いた半球状の空間で私は揺らめきながら微睡んでいる。自立の手立てはなく、殻の片割れを支える闇に私の命運は委ねられている。闇を縁取る白く細い輪郭線はほっそりとした手指のかたちをして、私の揺りかごを気まぐれに支えている。今しも放り出してしまってかまわない、と言わんばかりの残酷な無邪気さが、関節の優美なカーブからは滲み出ている。そのなめらかな闇の右手、洗われた骨のようにしらじらとした卵の殻、曖昧な二色に分かたれた脆い中身《わたし》、それらの光景を俯瞰しているのもまた私だった。

 もう何度おなじ夢を見たか知れない。だから私は、夢だと気が付いたところで醒められないことを知っている。この光景はまったき暗闇にふと浮かび上がるようにして始まり、しばらくは凍りついたような沈黙を保つ。私は知っている。沈黙を破るのが覚醒ではなく、間もなく訪れる崩壊であるということも。

 崩壊の先触れは優美な指先の痙攣がもたらす。かたく薄い殻越しに伝わる震えが白身を揺らし、黄身を泳がせる。あ、と思った時にはもう流出が始まり、今にも終わろうとしている。

 卵の中身であるところの私に視覚らしい視覚はない。にも拘わらず、ひび割れた殻の縁からこぼれ落ちる私は振り向き、自分が落下する先を明瞭に見定めている。その感覚が俯瞰する側の私にも伝わる。闇が口をひらく。白く波打つ亀裂が唾液の糸を引きながら張り裂ける。裂け目の奥では不自然なほど美しい歯並びと、滴りそうに濡れた舌が私を待ち望んでいる。

 こぼれた白身の端がとうとう肉厚の舌に触れる。すると、どうにか殻にしがみついていた黄身もまた引きずられるようにして落下する。裂け目がとじる。闇は私を噛み砕くことなく喉奥に送りこむ。固体と液体の境界をたゆたう白身も脆くまろやかな半円の黄身も保たれたままで、どこまで落ちていくのかと、どこにあるのかも分からない脳で悠長に考えた矢先、

 ごくん。

 鈍い音に全身を圧し潰されて、何もかもが途絶える。

 寝汗に湿った身体を起こすと、左腕にしがみついていた怜奈がちいさく呻いた。

「どこ行くの」

 目元を擦ってはいるが瞼は開いていない。私は裸の肩に触れ、努めてやさしく押し戻した。微睡みの余韻がたっぷりと残った身体はいつにも増して熱くやわらかい。

「帰る。明日早いんだった」

「終電……」

「間に合うよ、大丈夫。起こしてごめん」

「週末、楽しみにしてるね」

「また連絡する。おやすみ」

「おやふみ」

 ふやけた発音はほどなく寝息に変わった。薄闇に浮かぶ頬のなめらかな曲線が卵の殻を思い出させた。さっきまで私を包みこんでいた、あの頼りなく不完全な楕円の片割れ。

 バスルームに干されていたタオルを借りて汗を拭い、裸のまま床に散らばった服を拾い集めた。セックスのために脱いだ下着を拾うときほど自分を間抜けだと感じることはない。くたびれた布地で剥き出しの尻と性器を覆ってようやく、人間に戻れたような心地がする。

 あるいは割られる前の完全な楕円に。

 夢の内容は鮮明に覚えている。

 はじめは目覚めるたびに忘れていたはずが、何度も繰り返し見ているうちに現実との境目が失われてしまった。今も卵の中身だったときの奇妙な気怠さが腹の奥に重く溜まっている。殻を隔ててなおたしかな手指のつめたさが、眠る前に味わった怜奈の体温を上書きしていた。腫れた性器を彼女に押しこんだときよりも、喉奥のやわらかい粘膜に全身を押し潰された感覚のほうがずっと生々しかった。

 怜奈は、平凡な私には出来すぎた恋人だった。美しく、従順で、働き者。私と彼女はかつて大学で同じゼミに所属していた。共通点といえば好きな小説がいくつか被っていたくらいだ。それで、ぽつぽつと話すうちに親密になった。誰しもがなぜ彼女は私を選んだのかと訝しむ。「君はわたしを珍獣扱いしないから」と彼女は答える。

 怜奈は私に飽きるどころか、やがて結婚を仄めかすようになった。その結果が今も私の左手の薬指に光っている。来春に差し迫った婚姻に異論はなかった。これ以上の選択肢が私にあるとも思えなかった。それでも整然と舗装された道を歩くとき、私の鼓動は不安に逸った。ちいさな宝石の嵌った指輪を買ったときも、それを怜奈に贈ったときも、感極まった彼女が涙を流したときも、私の胸には水底の泥のような不安が堆積するばかりだった。

 結婚を決めてからは避妊もしていない。私が垂れ流した精子はいずれ怜奈の卵子を侵し、結びついて、血の繋がった他人の形をとるのだろう。もしかするとそれは今夜だったのかもしれない。もしかするとあの夢は、私のものではなく胎児のものであったのかもしれない。

 ならば弾けて消える結末は、私の不安が無意識に望んだ悲劇だったのだろうか?

 マンションを出ると冷たい夜風が頬に突き刺さった。悲観的な妄想が一瞬にして霧散する。そうだ、ばかばかしい妄想だ。怜奈の妊娠を私は喜ぶ。子どもが産まれたら私は育てる。それ以外の選択を望めないのなら、泣こうが微笑もうが同じことだ。微笑んで受け入れるべきだろう。彼女のためには。

 コートの襟をかき寄せながら夜道を歩いた。マンションから駅までは十分とかからない──すばらしい好立地だ。ひろびろとした1DKの家賃を怜奈は苦もなく支払っている。外資系企業の営業職は激務に見合った高給らしい。仕事が嫌いではなさそうなのに子どもを望むのだから、おそらく出産や育児にも協力的な会社なんだろう。

 駅前の繁華街は二十三時を過ぎても賑わっている。ネオンに彩られた大通りへ踏みこんで、ほんの数歩で私の足は鈍った。寒風にあてられた身体はすっかり冷え切っていた。このまま電車に飛びこめば生ぬるい暖房に温められることは分かっていたのに、不夜城の賑わいに気圧されて遠慮がちに光る駅舎が近づくにつれ、帰りたくなくなった。

 アパートに帰ったらもう眠るしかない。眠れば朝がやってきて、続きが始まる。漠然とした不安を背負ったまま微笑みつづけなくてはならない日々の、続きが。

 のろのろと歩き、ついには立ち止まった私のところへと、風俗のキャッチが獲物を見つけたカラスのようにすばやく寄りついてきた。お兄さん、と呼びかけた後はしきりに女性の身体の部位を連呼されるのに辟易して、私は要領を得ない断り文句をつぶやきながら手近な路地に飛びこんだ。

 未知の暗闇とすえた匂いに出迎えられて、思わず後ずさる。キャッチの足音が舌打ちとともに遠ざかっていく。汚い路地に入ってまで追い回すほど彼らも暇ではないようだ。あるいは本物のカラスのように縄張りが決まっていて、この路地は管轄外なのかもしれない。

 私は片側の壁に寄り添いながら先へ進んだ。奥に行くほど細く絞られていく道は思いのほか曲がりくねっていて、途中でペールに爪先をぶつけてしまった。まるまると太った蝿が耳の真横を横切り、あまりに重い羽音に飛びのく。すると今度は猫らしき影が足元を走り抜けていく。まるで樹海にでも迷い込んだみたいだ。大通りを一本外れただけなのに。

 五分は歩いただろうか。いつまで経っても反対側の通りに抜けられず、引き返すほかないかと俯きかけたそのとき、赤く鈍い光が目端を掠めた。振り返ると、横道を少し行ったところの壁面から小さな看板が突き出ているのが見えた。

 ここまで居酒屋の裏口かシャッターの下りたスナックの入口しか見当たらなかった路地に、その光はひどく新鮮で、妙に清潔なものとして映った。気がつくと私は光のそばに引き寄せられていた。看板を見上げる。赤い光の中央には黒い文字で「穴蔵」と書いてある。

 穴蔵。

 その名にふさわしく、看板の真下の壁はぽっかりと口を開けている。足元を照らすわずかな光に沿って、ゆるやかな下り階段が地下まで伸びていた。階段は狭い踊り場を境に折り返していて、階下に何があるのかまでは窺えない。

 穴蔵──。

 そのふた文字の他には情報らしい情報のない看板をもう一度見上げ、また階段を見た。コートのポケットからスマホを取り出し、時間を確認した。終電まであと十分もない。それを逃したらタクシーで帰るしかない。明日は六時半には起きていなくてはいけない。その二時間後には会社の会議室に着いていなければいけない。私は六時間は眠りたい、でないと日中は眠くてたまらない。あくびをし過ぎると隣のデスクの三上さんが嫌な顔をする。彼女は私のことが好きではないから。現実逃避も大概にして引き返すべきだ。今すぐに。

 私は階段を下りた。

 壁伝いにゆっくりと下りた。うす赤い塗装の施されたコンクリートの壁は氷のように冷たかった。一段、また一段と下るにつれて壁の色は少しずつ濃くなっていき、踊り場を過ぎる頃には内臓めいた暗い赤色が左右から押し迫ってくるように感じられた。

 階下にはやはり赤い扉が待っていた。掛け看板の「OPEN」の文字が擦り切れている。

 私はポケットに戻したスマホを触り、この場所について調べようとして、やめた。どのみち終電にはもう間に合わない。この扉の向こうが何であろうと、私に引き返す選択肢はなかった。もうここまで下りてきてしまったのだから。

 ひどく軽い手応えのドアノブだった。手を掛けた瞬間、引きずりこまれるように扉が開いた。中は薄暗いバーの様相で、色とりどりの酒がずらりと並んだ壁とカウンターの間にバーテンダーが立ち、入口から見て一番奥の席にひどい猫背の客がひとり座っていた。

 顎の先に髭をたくわえた壮年のバーテンダーは、手元のグラスに落としていた視線をふと私に投げ、覇気のない声で「どうぞ」と言った。私は拍子抜けした。先客との間にスツールひとつ分の距離を空けて席に着いた。安堵で軽くなった口をそのまま開いて、バーテンダーに話しかけた。

「ここ、バーだったんですね。何のお店か分からないまま入ってしまって」

「みなさんそう言いますよ」バーテンダーはそっけなく言った。「でも、必要ないので」

「どういうことですか」

「来るべき人が来ます」

 話が通じているのか不安になって喉を引きつらせた私に、バーテンダーは妙にうやうやしい手つきでメニューを差し出した。「ご注文をどうぞ」

 私は縋るようにメニューを読んだ。馴染みのない横文字がずらりと並んで、どれが自分の好みに合う酒なのかまったく分からない。私は下戸だった。会社の飲み会でも、最初の一杯だけ付き合いでレモンサワーを飲むくらいだ。目の前のメニューには、居酒屋で見かけるようなカクテルの名前はほとんどなかった。視線を往復させているだけで酔ってしまいそうだった。

「同じのにして」

 声は少し離れた隣から聞こえた。低く嗄れた声だった。私は先客がお代わりを頼んだのだと思った。声は繰り返した。「同じの、この人に」

 そこで私はようやく振り返った。黄色い瞳と目が合った。先客は、幅のひろい口の両端をにっと引き上げて私に笑いかけた。

 奇妙な青年だった。私と同年代か少し歳下に見える容姿と、老獪な声の印象が少しも噛み合わない。こんな隠れ家めいた店に一人で通うくらいだから、よほど酒が好きなのだろうか。だとすれば喉がアルコールで焼けてしまっているのかもしれない。満月を思わせる瞳に穿たれた瞳孔は縦に細く、爬虫類そのものだった。どう見ても人間の自然な瞳ではない。カラーコンタクトだろう、と私は無理やり納得した。

「お酒詳しくないんでしょ」

 青年は嗄れ声で歌うように喋った。口調は容姿の若さと一致している。何もかもがちぐはぐな彼を見つめているだけで、私はまたしても酩酊じみた浮遊感を味わった。疑問が渋滞する喉を絞ってようやく間抜けな返事を取りだす。「はい」

「これにしなよ」青年は長い指先で自分のグラスのふちをなぞった。背の高いグラスの中にはまだ半分ほど酒が残っていて、ミントとライムがもつれ合いながら底に沈んでいた。「そんなに強くないから」

「なんのお酒なんですか」

「シードルモヒート。お願い、マスター」

 バーテンダーが無言で私を見る。圧力に耐えかねた私は、メニューを遠ざけながら小さく頭を下げた。「じゃあ、それで」

 注文が済んだ後も青年は私から目を離さなかったが、私はあの黄色い瞳が恐ろしくてなかなか視線を合わせられなかった。しかし彼は気を悪くした風もなく自分の酒を飲みほした。空になったグラスを押し出して、「おれにも、もう一杯」と今度こそお代わりを頼んだ。

「それが好きなんですね」わたしはカウンターに目を落としたまま、なかば義務的に話しかけた。

「りんごが好きなんだ」と青年は言った。「あなたも気に入るといいけど」

「ビールしか飲んだことがないんです。それも付き合いで」

「あんまり好きじゃなさそうな言い方だ。アルコール自体嫌い? 悪いことしたかな」

「いえ」もごもごと否定しながら首を振った。「なにも頼まないわけにはいかないですから。助かりました」

「なんで?」

「え?」

「なにも頼まないで帰ったっていいのに」

 私はもう一度「え?」と言った。言葉の意味が分からないのではなかった。理解は、できる。ただ、浸透しない。傘が雨を弾くようにその言葉は私の脳をうわ滑りして、ぼたぼたと足元に滴り落ちた。青年は頬杖の上で首を傾げた。

「間違えました、帰ります、で済む話なのに」

「でも」

 中途半端に手出しするくらいなら最初から関わんないでもらえます?

 頭の中で三上さんが喋った。あるいはそれは母親であったかもしれない。自分から助力を申し出たプロジェクトに途中から参加できなくなったときも、小学校の帰り道、川べりで見つけた捨て猫に衣を剥がした唐揚げを与えたときも、私は。

「乗りかかった船なので」

 私の掠れ声を青年は笑いとばした。「汗かいてるよ、お兄さん」

 そして私のこめかみに指を伸ばした。彼はいつの間にか私の隣に座っていた。汗を拭いとった指を青年は口にふくんだ。私は呆然とそれを見つめていた。彼の言うとおり、引き返すなら今しかないと思った。カウンターの縁に手を掛けたそのとき、淡い黄金を満たしたグラスがふたつ目の前に差し出された。もつれ合うミントとライム。かすかな林檎の香り。

「きたきた」青年は喜々としてグラスを引き寄せ、ごくごくと飲んだ。

 氷のぶつかり合う音を聞いたとたん、激しい喉の渇きを覚えた。あんなに汗をかいたのに、怜奈の家で目を覚ましてから一滴も水分を摂っていない。青年の言い分も使えなくなってしまった。たとえ一口も飲まなかったとしても、供されたドリンクには金を支払うべきだ。だから。

 私はおそるおそるグラスに口を付けた。

 ごくん。

 鋭い炭酸が喉を焼く。舌の痺れを意識する間に鼻から爽やかな風味が抜けた。充分に甘く、かすかに酸っぱい。噎せそうになるのを堪えてもうひと口飲んだ。快い刺激が喉を潤す。渇きが癒える。もうひと口。

「お兄さん、そんな一気に飲んだら酔っちゃうよ」

 氷の角が唇に触れて、飛びのくようにグラスから口を離した。

 辛うじて割らずに手放したグラスの底で、ミントとライムは濡れた氷にしなだれ掛かっていた。硝子に隔てられたそれらは虫の死骸のように見えた。

 私は自分の喉に触れてみた。卵を飲んだように丸く張り出たそれは、みるみるうちに熱を持った。冷気に曇ったグラスの表面がじわじわと溶け出していく。違う。私の目が滲んでいるのだ。

「お兄さん」青年が呼んだ。

 私は今にもカウンターに突っ伏してしまいそうだった。耳に冷たく柔らかい感触が触れた。甘い香り。彼の声。見知らぬ男の汗を舐めて平然としている、おぞましい舌が私を呼んでいる。気遣っているのではない。そんな声色ではなかった。瀕死の鼠を眺める猫のような愉しみに満ちた声だった。今度は項が冷たくなった。濡れた指が丸く尖った骨をなぞった。「迷い込んだら帰れないのに、入ってきちゃったんだね。なんで?」

 私は繁華街のネオンを思い出していた。あの暴力的な光。私が望まない続きの対岸で、眩しく輝いている。「帰りたくなかった」

「じゃあ、どこに行きたい?」

「どこにも行きたくない」

「そう、ならちょうど良かった」

 何が?

 質問はもはや声にならない。焼けつくように熱い喉を呼吸が行き来するだけの音を、しかし彼は正確に聞き分けたようだった。「ここは行き止まりだからね」

 またしても私は卵の中身となった。

 殻はまだ割られていない。完璧な輪郭を保っている。なんと儚い均衡、あまりに脆い完全。かたく冷たい指先がそっと触れ、ほんの少し力を籠める。それだけで簡単にひびが入る。亀裂は瞬く間に広がって、分かたれた片割れが闇の中へと消えていく。

 残った殻のぬるついた内側に私はしがみつく。手指は容赦なく殻を揺さぶる。振動のもたらす刺激は甘美だ。同時にこのうえなく恐ろしい。極端な落差に私は叫び出したくなる。実際に叫んでいたと思う。笑い声が降ってきた。うす赤い光を背負った影、無慈悲な手指の持ち主が笑っている。

 嗄れた声で。

 そのとき私は四肢の存在を知覚する。足の爪先も手の指先も柔らかい布にしがみついて離れない。紛うことなき身体の存在を知覚する。痩せた生白い下腹で茹でられた蛇のような性器が跳ねている。腰骨を掴む手指が、緊密に結びついた下肢が私を揺さぶる。殻ではない。私の肉体を。私が怜奈を揺さぶっていたように。私の行為は怜奈の望みを叶えるためだった。彼女は暴かれ、放たれ、根付かれることを喜んだ。私を穿つ暴力もまた同じ熱を孕んでいた。奉仕によってのみ生じる熱を。

「教えてよ」青年の呼吸は少しも荒れていない。「卵の夢の続き」

 私は叫ぶ。

「続きなんかない」

 シーツをかたく握りしめて動かない指は酩酊の余韻に浸かって燃えるように熱い。強張った爪先も、こじ開けられた行き止まりまでの道も全部。私は叫ぶ。続きなんかない。あれで終わりだ。全部。

「割ってくれ」

「いいよ、それから?」

「中身を、中身を全部、飲みこんでくれ、僕を」

「いいよ。そういうの得意だから」

 歓喜に涙を流すかたわら、私は怜奈の子宮に思いを馳せた。きっと彼女の胎に私の種は根付いていない。少なくとも今夜は──すなわち明日より先の未来にも。彼女は出来すぎた恋人だ。初めから、何もかもが出来すぎていた。舗装された道が不安で仕方がなかった理由がいま分かった。単純な話だ。それは最初から私のための道ではなかった。

 私を揺する手が、腰が、少しずつ穏やかになる。やがて完全に止まり、穿たれた空洞から冷たい熱が出ていく。それからひやりとした感触が肌を這いずった。安堵のため息が漏れた。夢のなかではついに味わうことの叶わなかった、慕わしい暗闇の感触。

 私は目を閉じた。卵に視覚はいらない。殻にすがりつく爪も、生ぬるい肌も、かたい骨も何もいらない。ただ全身を滴らせ、呑み込まれるのを待つだけでいい。今にもひらく唇に、その内側でひらめく舌に、ぽっかりと空いた喉奥に向かって。

 ごくん。