部屋の話/ケアの話

inuinui
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東京でも部屋を探している。宿代があまりに高くなってしまったこと、一泊1000円で泊まらせてもらっていた知人のシェアハウスに深夜に帰ることが多くて、お世話になるのが申し訳なくなってきたこと……が理由だった。東京の拠点探しをするなかで、なぜ長野にも拠点を残すのか、の理由を考える。長野のことは好きだし、ひとつの土地と大きな都市を行き来する生活は自分なりの生活様式として育てられそうなので、続けたい。それでも「なんでだっけ」の問いはたまに頭に浮かぶ。自分が何をするために長野にいるのか…というと、「生活に向き合うこと」と、暮らしているうちに浮かび上がってきた「回復」という行為への興味を深掘りしたい、ということだった。自分が誰よりも疲れているというより、ちょっとした人付き合いやなんやへの疲れに敏感だから、回復というテーマに興味を持てたのかもしれない。

と同時に、自分がそこにいる意味のなかで、いちばん大きなものが「ケア」だと考えるようになった。自己実現を突き詰めようと考えてもどうしてもどこかで天井があって、「誰かをケアすること」のほうがまだ自分の天井が高いような気がする。自分が走ること、に対して出せる出力が本当に弱い。(ただ、なぜか「まちの本/土地の本をつくること」に関してだけは、自分のなかで何かへのケアのスイッチが入るのか、かなり持久力を持って走れる自負がある。先人たちの記憶をなかったことにしないこと、は自分のなかでやりたいことでもあり、誰かへのケアになると信じているのかもしれない)

長野で誰をケアしているのか?と言われるとウッ、確かに最近はケアされてばかりいるけれど、「たまたまエンカウントすると嬉しいやつ」ではいられている気がする……これからも、たまたま出会えた誰かを楽しませるぞ。誰にも言えない孤独だとか、君の不安、を終わらせながらまちをほっつき歩く人でありたい