テッド・チャンの『息吹』を読んでるんだけど、「偽りのない事実、偽りのない気持ち」って小説が、ちょっと最近思ってたこととかぶるな~って思った。
この小説ではライフログを取る「リメン」という生活を記録するパーソナルカメラが使われてる世界が舞台で、「リメン」は記録するだけじゃなくて、誰かと話してるときに、「あのとき行ったどこどこ」といったら、そのときの映像をよみがえらせてくれる。そのことが認知の変化をどうもたらすかという話と、アフリカの無文字社会に宣教師がやってきて、ある子どもに読み書きを教えたことでその子の認知や文字が入ったことで社会がどう変化していくかが同時並行で描かれている。要は人の認知の変化を扱った小説だ。
この小説では書くことがいかに認知を変えたかという話と、すべての映像が記録された世界で人の記憶はどうなるのかということが出てくるのだが、SNSも人の認知を変えたと思った。SNSができたことで、承認欲求が大きくなったとか、デマが広がりやすくなったとか、マスメディアじゃなくても個人が影響力をもてるようになったとかは言われているが、私が思ったのは、SNSによって今まで切れていたはずの人間関係がずっとつながっていることで起こる認知の変化があるんじゃないかということだ。
記憶というのは個人単独に存在するだけでなく、集団にもある。それは「集合的記憶」と呼ばれていて、わかりやすいのが国家で、国の記憶として戦争だったり記念日だったりを国民で祝ったり弔ったりすることで覚えていようとする。国以外でも、学校や会社といった集団での記憶というのもある。だから、SNSによって昔だったら学校を卒業したら会わなくなる人、仕事を辞めたら関係がなくなる人、ある時期だけ親しくしてその後は疎遠になる人とうっすらつながっていられるようになった。その結果、昔だったら一旦切れたら知るはずのなかったその人たちの近況を知れるようになって、一旦はずれた共同体の記憶を常に思い出し続けたりその一員として想起することが可能になった。
SNSは一種の記憶の共同体だが、その共同体は自分で編集可能な「フィルターバブル」という名の記憶の共同体だ。その共同体の中でいつも話題になることを、何度も想起させられることで、昔だったら忘れていたようなささいなことがなかなか忘れられないということがあるんじゃないのか。
そこで話題になる出来事は何度も思い出させられる。昔なら、時間が経てば自然に忘れていたかもしれないことが、SNSでは何年経っても、何度もタイムラインに現れる。そのせいで、一度終わった人間関係や、昔の失敗や、過去の出来事や後悔が、完全に過去にならない。それはどちらかというと悪い面の方が大きいのではないかと思う。 昔よりも意識的に思い出さないとか、思い出しても記憶を流して、常に今にいるっていうことを心がけていないと、過去の割合が人生の中で大きくなるのではないか。今は昔よりも今を生きるのが難しい時代なのではないかと思った。