昨日書いたことの続きだけど、結局ね、不安だったんだろうね。自分がいつも世間で置いていかれているような気持ちになってて。メッキがはがされるみたいな気持ちがいつもどこかにあったよね。だから友達使って自分の価値を確かめたくなってたんだろうね。ちょっと悲しいね。友達でそんなことするなんて。
なんで不安なんだろうね。カウンセラーのみきたいちろう氏のブログで人との境界がきちんとしてる人は心に壁があって、そこから中へは人を入らせないけど、人との境界がゆるいと、自分の核をさらけ出してしまって傷つきやすくなるみたいな話が書いてあった。不安って、自分の壁がない状態なのかもしれない。
『鬼滅の刃』の無限列車編で魘夢に眠らされた人が、炭治郎の精神の核を破壊しにいくけど、破壊できなかった話があった。精神の核が破壊されない人は、壁があって、むき出しじゃない。その壁は、悪いものじゃなくて外から自分を守ってくれるもの、いわゆる「自分軸」みたいなやつのことだと思う。だから、その壁がないと不安になっちゃうんだろうね。
友達とも、多分自分軸がないとつきあえないんだよね。全部友達に合わせちゃったり、言われたこと全部真に受けたり、その時の友達の都合や体調を考慮せずに言葉尻だけ捉えたり。自分がないと友達とも付き合えないし、よく生きられないんだよね。
そう思ったら繊細さってあんまりよくないのかなって思っちゃうよね。「私が悪いんです~」とか、「○○さんは××ができるから~」みたいなのは、弱さを出すことで攻撃することを受動的攻撃って言うらしいんだけど、繊細さを言い訳にして弱いから優しくしてって言うのは、たぶん違うんだよね。じゃあ、繊細じゃなくなればいいのかというと、それも違うんだよね。
相手の機嫌に左右されないって、気にしないとか鈍感でいることじゃなくて、相手の不機嫌さだったり調子の悪さを感じつつ、自分は自分でいることなんだろうね。今までだったらすぐ自分が何かしたかなとか、自分のせいかなって思ってたから、自分は悪くないよねって確かめたくなったり機嫌とりたくなってたけど、相手によりそう気遣いは見せつつ、必要以上に自分のせいって背負わないで、相手は相手、自分は自分っていうところを持ったまま付き合うことなんだろうな。