20代の頃、いくつかの思い当たる場面が線でつながり、「自分って失言が多いタイプだったんだな……」と考えるに至った。
30代になってからも失言をすることなく雑談をこなす会話力は身につかず、「失言したくない場面では、必要最低限の言葉以外発さない」という直接の解決にはつながっていない、なけなしの処世術でもってなんとかやりくりしてきた。
最近フリマアプリに出品したセーターが売れた。もう何年も前に買ったセーターだった。上質のウールの毛糸で編まれたとてもしっかりしたセーターだが、冬場必要以上に屋外にでない自分が屋内で着るにはあたたかすぎて、ほとんど未使用のままだった。雪のアーガイル柄が気に入って手元に置いていたが、その柄も年齢を考えると今さら着るには可愛すぎると思えたし、クローゼットの整理を機に手放すことにした。
出品してからそれほど日が経たないうちに買い手がついた。購入者と定型的なメッセージをやりとりして発送した。
この手のアプリを利用したことがある人は必ず目にするであろう、お決まりのメッセージを送る。ご購入いただきありがとうございます。〇〇日までに発送します。取引終了までの期間、よろしくお願いします。
これらの文はアプリにも定型文として載っている。何も送らないでいると不親切。親しみすぎても馴れ馴れしいと、マイナス評価をつけられることもあるらしい。なので過不足ないと思われる文章をいつも打ち込む。
数日後、セーターを受け取った購入者から受取通知とメッセージが届いた。そこには「可愛いセーターをありがとうございます。今から行く忘年会に間に合ったから、早速着ていきます」とあった。それを読んだ瞬間、よかったなという気持ちがじわじわと身体中を巡った。
不要なものが必要とする人の手に渡ったということ。気に入っていたセーターを知らない誰かも気に入ってくれたこと。それらのこと以上に、私個人に宛てた人間味のあるメッセージを、わざわざ送ってくれたということが嬉しかった。久しぶりにインターネットを通じて出会えたいいできごとだった。
そして、この人と同じぐらい軽やかに、聴き手がよい気分になる言葉を投げかけられるようになりたいと思った。用意された定型文は失言となる心配もないが、それは言葉というよりは、記号に近いものなのだと実感した。
言っても言わなくてもいいけど、言ったほうがいい言葉。それにはまず、「失言を恐れて口を噤む」の壁を越える努力をしなければならない。練習としてひとまず文章をインターネットに放流してみようと、年の瀬にこれを書いている。