おばけと私と母(時々父)

inunomatsuge
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他人より優れたところなんぞほとんどない私に、ひとつだけ胸を張っていえる特技がある。それは「おばけが怖くない」こと、だ。何を言ってるんですかってかんじだけど、おばけが怖くないということは、ホラー映画もお化け屋敷も肝試しも、夜の墓地や廃墟も平気ということです。夜道は、おばけ以外の怖いもの(犯罪者や暗闇での事故)が出るので平気じゃないけど。

なぜおばけが怖くないのかというと、「心霊現象は科学的に説明できない、よっておばけはいない」という思想のおかげです。おばけは、その存在を信じる人には見えるし、信じない人には見えない。そういう種類のものなので、私には見えない。だからこわくない、という単純明快、ごくごくシンプルな理由。

これだけなら特に文章にすることでもないし、わざわざ「私はおばけを信じてないからおばけこわくないんですよ~」って喧伝する必要もないんだけど、ちょっと面白いエピソードがあるので書いてみる。

子供の頃、冝保愛子さんや織田無道さんや稲川淳二さんらが出演する心霊番組や、のちのタッキー&翼や当時女児の間で絶大な人気を誇っていた前田愛ちゃん野村佑香ちゃんらが出演の「木曜の怪談(怪奇倶楽部)」が流行っていて、私の母はVHSに録画して食い入るように見ていた。心霊番組大好き、ホラーオカルト大好き、時々「いる」といって仏壇のまわりをうろうろしたり、小皿に塩をうずたかく盛り付けて部屋の四隅に置いたりする母と、同タイプの妹と一緒に私は育った。

当時は、現在死語となっている「写メ」という言葉すらもまだ誕生しておらず、写真はインスタントカメラで撮って現像することがふつうの時代だった。フィルターや加工どころか、今のようにシャッターを押してすぐ写真を確認することすらできなくて、写真として現像してからはじめて見ることが出来たんですね。すごくないですか?すごいでしょ、平成は(ドヤ)(?)

変な映り込みがあったり手振れしちゃっても、撮ってる時は気づかないし撮り直しとかもできない。だから、出来上がった写真の中には失敗作とかもふつうにある。目をつぶっちゃってるのとか、ボケボケのやつとか。その中に「心霊写真」を探すことも、当時は割とよくある光景だった。いやあきらかに合成だろ?と思われるような、手が何本もあったり、人の顔が浮き上がってるものが、上記のような心霊番組で多々紹介されていた。

母と妹はよく心霊写真を探していて、誕生日の写真とか旅行の写真を現像するたびに、これはそうじゃないかとか、この手って3本目だよね!?などと白熱することが多く、私が覚えている限り、その輪の中に加わっていたのは小学生の時が最後だったと思う。中学に上がる少し前、病気で亡くなった祖父の葬式に出て、そのあたりから「人は死んだらそこで終わり」という思想が私の中に流入してきて、夜のトイレが怖くなくなり、母と妹が悲鳴を上げながら見ている夏の除霊スペシャルが茶番にしか見えなくなった。

今現在の、無印良品や自然食レストランの従業員のような穏やかな風貌および性格とは異なり、少々荒れた高校生だった私は、ある時男女数名で廃墟となった店に忍び込む「肝試し」を敢行した。この時は妹と妹の彼氏も一緒であり、妹は「絶対霊いるわ」とビビり散らしていた。ガチガチのギャルで怖いものなしの妹がビビる姿を見て、私は霊よりもそっちの方が面白く、余裕綽々で廃墟の中を歩き回った。妹は私が霊を信じていないことを知っていたけど、さすがに夜の廃墟なんかに行ったら怖くてビビると思っていたと思う。ところが、女の子にいいところを見せたい男性陣すらうっすらビビりはじめたさなか、私だけが無敵だった。人生でこんなに「向かうところ敵なし」だったことは、後にも先にもない。だって敵はいないのだ。どこからでもかかってこい、俺におまえらは見えねえぞ!調子に乗って大声で騒いでいると、おそらく近所の人が気づいたようで、通報されそうになったので慌てて廃墟を出た。

大人になって分別がつくようになってからはその手の肝試しはしなくなったけど、友達なんかと夜車に乗っている際「ちょっと怖い心霊スポット」を興味本位で巡るようなイベントに遭遇することはあった。分別のある私は、わざわざ「おばけなんかいるわけないじゃん」と言ったりしない。いや、言ったとしても「そういいながら実際怖い場所に行ったら怖がるはず」という認識が大体の人の中にあるので、つよがりにしか聞こえないと思う。「おばけなんかいるわけないじゃん」っていう人が一番大声で叫んで泣いたりするしね。でも実際はつよがりではなく、「夜の墓地を平気で散歩できる無敵の私」だ。実績もめちゃめちゃある。

しかしながら、「おばけが怖くない」ということは実生活ではほとんど役に立たない。無敵の状態になれるのはごく限られた瞬間で、そんな瞬間は全くと言っていいほど訪れない。お墓に忘れ物をしてしまって夜中に取りに行かなきゃいけなくなった、というシチュエーションも現実には起こらないし。

そういうわけで、大人になってからの私は「おばけが怖くない」ということ自体を忘れて生活していた。おばけが怖くない私はそもそもホラー映画は見ないしおばけ屋敷にもいかないし心霊番組も見ない。おばけというものとは無縁の生活をしているから、おばけについて考えることが皆無だった。

ところが、意外なところから「おばけ」はやってきた。いや、私の世界にはおばけはいないので「やってきて」はいないのだけど、おばけに関する事象が起こったのだ。

父親が死んだ。突然病気になり、みるみる悪化し、1年もしない間に死んでしまった。父は、殺しても死なないような、なんというか、憎まれっ子世に憚りまくるタイプの自由奔放な人だった。少なくとも80までは生きるし、もしかしたら100まで生きるかも……と父を知る人は大体思っていたと思うが、60を過ぎてすぐにとっとと死んでしまった。

私はその時すでに家を出ていて、自分の家族もいたので、さほどのショックは受けなかった。けして父と折り合いが悪かったわけではないけど、精神的な「巣立ち」をすでにしていた、というかんじ。他の兄弟もほぼそういうかんじだったが、母はそういうわけにはいかないだろうなと思った。母は奔放な父に振り回されてばかりだったけど、それでも、父のことが大好きだった。父もその自覚があったのか、死の数か月前、私とファミリーレストランでパフェをつつきながら(父は酒も甘いものもめちゃくちゃ食べる両刀)「もうすぐ死ぬと思うけど、母さんが後追いしないか心配だから見ててほしい」などと言って私を泣かせていた。

父の葬儀が終わり、骨をどこへ納めるのかなどということも決め、粛々と身の回りが片付いていく時、母は私の予想の何倍も冷静にみえた。父の懸念とはうらはらに、精神を病む様子や、ましてや後追いをするようなそぶりもなく、ただ静かに自分の生活を回し始めた。それを傍らで見ながら、思った。あんなに霊の話をしていた母が、一度も父の霊の話をしない。おばけでもいいから会いたい、というような発言を聞いたこともない。私の世界にはおばけも霊も、死者の魂というものも存在しないが、それを救いとする人がいるならば、その人の世界には存在してもいいと思ってる。でも、母の世界にも、父の霊はいないらしい。

これはどういうことだろうか、と思っていたが、おそらく、母の世界にいるのは生前の父であって、その記憶をただただ大切に扱うことを弔いとしているのではないか、と想像した。霊、というのはある種こちらの希望が反映された姿であって、その人そのものではない。その人そのものは、亡くなる瞬間にデーター更新が終わっているから、その先は存在しないのだ。より鮮明に生前の姿を思い出すこと・覚えておくことの方が、霊の姿を想像することよりも母にとっては救いになっているのではないか。そんなことを思った。

父が亡くなってから、もう随分経つ。やはり母から父の霊の話を聞くことはないし、当然私も父の霊を見ない。でも時々、夢で会う。会うたび私は、下界のことを知らない父のために「お母さん、元気だよ」と伝える親孝行をすることにしている。

@inunomatsuge
いぬのまつげかわいい