「ラストシーンの後、フローとグレイは出会えるか」
ゴスレを観劇した方は誰しも考えることだと思う。原作を読み何度か舞台も観た私の答えは「フローとグレイはもう会えない」の一択しか無かった、あの日までは―
先日、劇団四季の演目を見るのが初めての友達(以外Hちゃん)と共に「ゴースト&レディ」を見に行った。
Hちゃんとは小劇場だったり、J事務所の舞台を見に行っては観考や感想を語り合ったりする仲だ。
ゴスレの内容はきっとHちゃんが気に入ってくれると思っていたことと、たまたまご飯でもと予定を立ててた日に私のご贔屓の出演が重なり、許可も取らずチケットを取り観劇を誘った。
Hちゃんも私の勢いに驚いていたものの、「予定合うことないしね!」と快くOKしてくれた。ありがとう…
そして一緒に観劇し、Hちゃんは終演後「初めて見る劇団四季の作品がゴースト&レディで良かった」と言ってくれた。特に「走る雲を追いかけて」で女性たちが頑張る姿や、ジョン・ホールに呼び出され雪山に向かう時に、仲間が一緒についていくと言ったシーンが良かったとも言ってくれた。
その流れでふと私はHちゃんに「グレイとフローは最後会えると思う?」と聞いてみたのだ。
すると「会えるよ」と返ってきた。
私にとっては衝撃だった―、グレイとフローは今後会えないからこそ『美しくも儚い物語』となり、観劇しては泣いていたからだ。
衝撃と同時に考察に興味が湧いてしまい、「どうしてそう思うの?」と聞いてみたのだ。
Hちゃんとしては
・グレイはやり遂げたい事=「フローの生涯を演劇にする。」があるとしてフローと別れた。
・「ゴースト&レディ」を作り、私たち観客に見せることによってやり遂げたいことをやり遂げた。
・グレイが客席を降りて歩く先は成仏(この作品にそういう概念があるかは分からないけど)でどれくらいかかるか分からないけど、フローに会いに行ったのではないか。
彼女の考察を聞いて私は妙に納得してしまった。それまで何度か観劇していたが「グレイが客席を降りて捌ける意味」など考えたことが無かった。
同じものを観ているのにこんなにも違う意見が出るなんてやっぱり観劇は面白いなあと思う一方、まだ自分の中では「会える」という可能性は見い出せなかった。
翌週台風の影響でぽつぽつと1階の空席があったため、「最初で最後の1階席かな」と思いゴスレを観劇することにした。
今回の席は1階上手、通称「グレイロード」と呼ばれるグレイが最後捌ける客席付近。近すぎて少しドキドキしながら観劇。
話は進み最後、グレイが客席に降りて行くシーン。
「やり遂げたい事」を終えスポットライトを浴びて誇らしげに歩くグレイ。歩く姿を目で追って後ろを振り返ると、スポットライトが一筋の光に見えたのだ。フローと会えるという希望の光に向かって歩き出したかのようだった。
そしてふとHちゃんの考察が脳裏に浮かぶ。
「フローとグレイは会えるよ」
この時初めて「フローとグレイはこの後も会えるかもしれない」と感じた瞬間だった。
他の人の考察を聞いて、こうも舞台の見方が変わるのかと自分でも驚いた。
個人的にフローとグレイには幸せになって欲しいという気持ちがあるため「会えるかもしれない」という可能性が見い出せたのは嬉しかったが、一方で原作者である藤田先生の「フローとグレイはお別れしなければならない」という言葉が引っかかる。
藤田先生が「2人は別れる」と仰る以上はやっぱり会えないのでは無いかと思い始めた。色々考えながらゴースト&レディのサントラを聞いてハッとした。
それは「不思議な絆(リプライズ)」の一説で、「もう二度と会えないとしても」という歌詞。
グレイの中でフローに二度と会えないのは仮定であって、ほんの僅かでも会える可能性があると思っているという事が嬉しかった。
よくよく考えてみても藤田先生は「2人は別れる」と仰っていて「二度と会えない」とは言っていないのだ。(少しオタクがいいように解釈している自負はある。)
もし今誰かに「フローとグレイは会えるのか」と聞かれたら「どれくらいかかるか分からないがいつか会える。もし会えなくてもフローもグレイも会えると思っている。」と返すと思う。でもまた観劇したら意見が変わるかもしれない。
舞台の「ゴースト&レディ」においては「会える」「会えない」どっちとも取れる終わり方だと思っている。
だからこそ観劇の醍醐味である「人の考察や感想を聞いて知見を広げる」が出来て、どっぷりと「ゴースト&レディ」という作品にハマっている。
友達の考察のおかげで別の意見に触れることが出来て楽しかったし、舞台に対する解釈も深まった。
今回私の固定概念を壊してくれたHちゃん、観劇して考察する楽しみを教えてくれた「ゴースト&レディ」という作品に限りなき感謝を。

五郎八