「これは例え話ね。
『あなたの命と引き換えにこの世界から悲しみや苦しみをほんとうにすべて取り除いてあげましょう』って、もしも言われたら。
わたしは迷わず、この身を差し出したい。
…怖いだろうけれど、迷わないわ。」
そう言うやさしいきみ。
けれどぼくは知っていた。同じようにきみも知りはじめていた。
こんなにもやさしいきみが、たとえその命を差し出そうとも。
この世界から悲しみや苦しみは、消えないよ。
『きみの一番の願いを叶えてあげましょう』と笑顔で手を差し伸べてくる誰かも、きみを葬った後に、平気で手のひらを返すかもしれないんだ。(もしかすると、きみを葬るよりも先に。)
そういう嘘や騙し合いが悲しくて、そこから生まれる憎しみが寂しくて、
そんなこと、なくなればいいのにね。
でも現実だよ。
だって、そうだ。
いまこうしているうちにも、そうさ…。
命を差し出すのがきみであってもぼくであっても、この世界は堪らないままだ。
今日もどこかで人と人は、憎み合い殺し合い欲望でどろどろ。
この宇宙の奇跡的な天体、この地球のことだって、忘れて、
互いのいのちを貪る貪る。麻痺しちゃったような目つき。
この世のあらゆる不幸にも幸福にも、
鈍く錆びついたあいつの感性はふるえない……。
(そんなあいつがただの本当の悪人だったらどんなにましだろうか。もしかするとあいつも苦しんでいるのかもしれないということが、ぼくは悲しい。)
ああ。
だけども。だからなのか。
ぼくはやめない。
ぼくは信じることをやめないよ。
信じているときのぼくと
そういうぼくが信じている世界が
だいすきだから。
信じた結果、みえる世界を
ぼくはこの手で描いてゆくよ。
きみがやさしいと言ってくれたこの手で、そうしてゆくよ。
たとえこの手が傷だらけになろうとも、涙で呼吸ができなくなろうとも、闇に目を溶かしすぎて何にも見えなくなろうとも、
そうしてゆくよ。
あのひかりを思い出しつづけて。
思い出せないときは、不安だろうけれど、じっと、耐えるんだ。
そうしているうちに、流れは何度も、繰り返し訪れるから。必ず。
そしてまた同じように何度も、思い出せばいいの。
あのひかりのことを思い出せなくなったら、また何度でも思い出せばいいんだ。
そのためには、やっぱり
きみが必要なんだよ。