わたしは、ゆっくり話したい。
焦って急いで喋ったりすると、度が過ぎたり、余計なことや思ってもないことを、口にしてしまったりするから。
ゆっくり、相手のことも、自分のことも、咀嚼してなるべく納得してから、言葉を発したい。
いつも忙しそうにしている人や、効率優先至上主義の人は、わたしとは喋っていられないかもしれない。のろのろすぎて。
だからかしら、昔から世間話っていうものが、得意じゃない。それに、話好きの人には、じれったいのか、話題をよく持っていかれる。
昔はそれが嫌だった。勝手に話題を奪わないでくれよと当時は思ったし、わたしだって話したいのに、それをスムーズにうまく言葉にできないことも、嫌だった。
場を盛り上げる人、話を回す人、相手が気持ちよくなるようなリアクションをナチュラルにする人、声が通る人、起承転結つけてドラマチックに明快に話ができる人。
みんな、憧れだった。いま思うと、学生時代、たくさんお酒を飲んだのは、アルコールの力があれば、わたしでも多少はそういう人たちの真似をすることができる、そんな、気持ちになれる気がしていたんだろうと思う。
けれど、こんな感じのテンポで、ゆっくり話したいと思うそんな自分を、良いじゃん!とここ最近では思うようになってきている。
わたしのこのテンポや感覚的な言葉を、好きだと言ってくれる、恋人や友だちもいる。みんなみんな、自分に責任をもって生きているすてきなひとたちだ。
わたしも、こんな自分を、納得している。あなたも、そんなわたしを、納得してくれている。なら、なんも言うことないじゃんね。そんな気持ち。
【話すこと】【聞くこと】
聞き手がいなければ、話すことは成り立たない。
概ね人は、聞くことよりも、話をすることの方が好きなんじゃないだろうか。自分の話をするのは、気持ちが良いから。
本当に「会話」ができるひとはなかなかいなくて、そんな人は自分が話すだけじゃなく、ちゃんと相手の話も聴ける人だ。
それなら、わたしは、聴くひとでいよう。
わたしのテンポや言葉を、心地よいと感じてくれる、そんなひとに出会えたなら、ゆっくりはなしをしたいと思う。