身体を壊してからというもの
自らの死と向き合うことについて考え始めた。
若い頃ではあればそんな先の話、だなんて思うだろう。
まだ老け込む歳では全然ないにせよ、若くして亡くなる人だっていて、それこそ僕の年齢の付近でなくなる人だっている。
そんなものを見聞きすると尚更。
僕の身体はあとどれくらいもつのだろうかと考えることも増えた。
もちろん改善する手段がないわけではない。
高額医療に頼れば改善する可能性はある。
正直なところ。
僕自身、高額な医療費を払い続けてまで生きていようと思えない部分もある。
その裏には何かを犠牲にしなきゃいけない。
それなのだったら僕自身が犠牲になってしまったほうがまだなにか残せるのではないのか、と。
くだらない。
生きてさえいれば、なんて言う。
僕は知っているよ。
たしかにそうかもしれない。
僕はたった一人の僕だ。
家族の中でもたった一人だ。
僕がいなくなることでその一つが失われる。
だから生きていろと。
でも僕が生きていくうえで、家族の生活が脅かされるのであれば、僕はそれを望まないと思う。
もはやこんな身体だ。
運命を受け入れるしかない。
別に死にたいわけじゃない。
そんな願望なんて持ち得てない。
健康でいたら何よりだ。
病は身体だけじゃない。
心も蝕む。
もとはといえば生まれつき抱えていたもの。
ずっと耐え続けていたものが崩れ始めている。
現にそれは心のバランスを保てなくなり、自分の気性に陰を落としているのだと痛感させられている。
だから僕はいないほうがいいんじゃないかと、極端な思考にも走ろうとする。
大丈夫、そんなことはしないよ。
ただ、そんな思考といつもどおりであるはずの僕の思考が心の中でグルグルしている。
体調が良くないときにつけ込んでくるんだ。
向き合う、ということは。
受け入れることなのか。
立ち向かうことなのか。
この答えは簡単ではない。