この気持ちが風化してしまう前に書き留めておく。
今日は久々に高専の友達と栄で飲んで、彼らの空気感にあてられて、懐かしい高専の頃の感覚を思い出していた。僕は豊橋で腐ってしまっていたのかもしれない。卒研をやっていた頃や皆と技術の話をしていた瞬間に、利益や戦略を無視した純粋な知的好奇心から来る探求にこそ、本当の喜びが見いだせるのだと感じていたのは確かなのだが、最近はすっかり忘れていたように思う。仲ちゃんと話していて気づいた。なぜか仲ちゃんと話していると色々な内省が湧き出てくる。栄の賑やかな夜の街の只中で、彼は今現在の実体を伴った興味を語っていたが、僕は過去の経験や知識を呼び起こして返答を生成している感覚だった。常に今熱中していることを語られると良いのだけど、豊橋に来てから課題やレポートが忙しく、また高専の頃のように白熱して技術の話をする相手がいないこともあり、あの頃ほど技術に熱中できないでいた。本当にこのままではだめだ。
それにしても高専の友達は志も能力も高くて、本当に稀有な才能の持ち主だと改めて思った。自己認識の形成の大部分は環境が占めていると思うのだけれど、そういう意味では臆さずに才能のある人たちの中に飛び込んでいくのも悪くない。快適な場所に居座って静かに朽ちていくよりよっぽどマシだ。
自分のアイデンティティが錆びていく感覚、あるいはゆっくりと自分が埃を被っていくような感覚が、静かな夜にやってくる。時計を見るともう日が回っている。明日に備えて寝なければ。漠然とした焦燥感を無視するために床に就く。おやすみなさい。