積ん読

is_hoku
·

「積ん読」という言葉を初めて使った人は、きっとお茶目だったんだろう。買った本を読まずに積んであるのに、読書の一つのあり方みたいな顏をしているし、言葉の響きや字面がかなり可愛い。思わず使ってしまいたくなる前向きな印象もある。

最近、積ん読している本の単行本版が発売されたというニュースを Twitter で見かけた。そのニュース自体は素晴しいことで、コメント欄では賞賛や喜びの反応が連なっていたが、僕はその本を積ん読しているという事実のせいで、その気持ちに素直に共感することができなかった。いたたまれなくなって PC から目を背けると、机上のブックスタンドに立て掛けられた本と目が合った。一度も開かれていないため外装は綺麗だが、天には埃が目立っている。本は無言で、購入してから過ぎ去った時間や、読むことができたはずなのに時間を浪費したためにその機会を逃したという事実を訴えてくる。眼前には「積ん読」では包み隠せない、ただの自分の怠慢が立て掛けられていて、耐えられなくなって目線を PC に戻し、 Twitter のタブを閉じた。

とりあえず、読書より先にやるべきことを片付けてしまおう。余裕ができたら、今度こそ本を開こう。そういえば、本は積んであるだけでも徳が高いのだと誰かが言っていた。