ようやく卒論から解放され,長期休暇に入ったものの,ここ最近やるべき事とやりたい事を捌くのに必死で,何もしていない時でさえ,それらのことを考えて焦ったり時間の無さを嘆いたりしていた.少し先の自分のためにタスクを片付けるのは悪くないが,もう少しだけ行き当たりばったりの生活も良いものだろうと思うのだけど,ともすれば生き急いでしまうこの体はいったいどこを目指しているのだろう.偉大な先人の足跡や才能溢れる友人の後ろ影を見ていると,自分も彼等に追いつくために頂きを目指すことばかり考えてしまうが,あんまりに急ぎ足だとせっかくの周りの景色も見えなくなってしまうし,横を通りすぎてゆく他人ばかり見ていると退屈だ.足を止め,ふと道辺に咲く花に目を遣って,その美しさと逞しさを愛でている間に人知れず朽ちていく,そんな人生もあっていいのだろうと思う.特別優れていなくとも言葉がまとまらなくとも喜びながら過ごしていけるだけで万歳だ,と自分に言い聞かせながら,歳を重ねるごとに頭の中に降り積もる価値や優劣の概念を掃いてしまおうと試みる.
そういえば今朝は霧が濃くて遠くが見づらかったのだが,早朝とは思えない空気の明るさも相俟って視界が一層ぼんやりとしていた.昼を過ぎると,春の終わりと初夏の訪れを同時に感じる暖さで,すっかり霧も晴れていて,周りを見渡したり道端に目を落としたりしてみるが,視界に入ってくるものといったら,ひびの入ったアスファルトと錆びれた道路標識くらいで,都合良く美しい花が咲いているなんてことはない.何に感動するわけでもない平凡な日常を愛するのもまた生きることの醍醐味ってことだろう.