空手時代の旧友と飲んだ後、友達の家兼道場で飲み直した。一階が道場で二階が居住空間になっているのだ。その友達は師範の息子なので、当然二階には師範とその家族が暮らしている。リビングに入ると、たまたま起きていた師範に会うことができ、当時のことを懐古してたくさん話していた。今の道場には僕の知っている人は一人もいないということも知った。当たり前のことではあるけど、それだけ自分は歳を重ねてしまっていたのだと思わされた。
しばらく話していると、友達の兄がリビングに入ってきた。師範が僕の名前を口にするなり、彼は目の前にいるコートを纏った肩幅の広い成人男性が、十年以上前に共に空手をしていた子供と同一人物だということに驚き、「大きくなったなぁ。」と言った。彼は厳つい風貌をしているが、その言葉には温かさがある。思いがけず目頭が熱くなった。彼と僕の人生は僅かな期間だったが交錯していて、その記憶はまだ彼の中で健在であった。僕は確かに十年以上前にこの場所で正拳突きをし、組手をし、皆と汗をかいて空手をしていた。この移ろいゆく時間と変わりゆく人々の中で、その事実は確実なものだと分かった。それだけで良かった。
同級生三人で飲み始めた。ここはボケもツッコミも無い空間、喜劇も悲劇もない。卒倒してしまいそうな刺激的な話題もなく、テレビからは麻雀の実況が聞こえてくるだけだ。シャウエッセンをあてにして缶ビールを喉に流し込む。「麻雀分かる?」、「雀魂ならやったことある」、「僕はわからんなー」、「今ロンだった」。ただ時間が穏やかに流れていく。中学の頃から分岐した三人の人生が、微かにしかし確かにこの場所で重なっていた。
劇的な展開や感動のストーリーがなくとも、今日のような日々の連続を生きていくのだとしたら、案外人生は捨てたもんじゃないと思えた。