才能、あるいはギフテッド

伊佐名眸
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困った。2日目にしてテーマが思いつかない。今までこういったアウトプットをしたことがないのだから、当たり前と言えばそうなのだろうが、私にはエッセイ(がいきなりスラスラかける等)の才能はないのだということがハッキリしてしまった。

ちょうど才能というワードがでてきた。これを言うと非難轟々だろうが、実は私は今まで生きてきてこの動作・問題解決だけはどうしてもできないと思ったことがない(※今できるとは限らないが、時間をかければ必ずできる予感があるということ)。我ながらあまりにも自信家過ぎて引く。しかし確信がある。

これを考えると、私には万能に等しいポテンシャルという才能があると言えるのかもしれない。ただし神は私に努力継続の能力を完全に入れ忘れたので、この万能のポテンシャルは全くもって無用の長物と化しているので安心してほしい。

ところで知的活動方向に特化した高IQ発達障害をギフテッドと呼んで重宝しようという動きがあったらしい。個人的にはそのようなタイプは「ギフテッドのような何か」だと思っているので、多分その計画は失敗するだろうなという予感がある。なぜなら、真のギフテッドと違い、我々発達障害には突出した分だけ別の分野で何らかの欠落があるからだ。そこを補わずに突出分野だけを構うと恐らくどこかで人間としてやっていけずに破綻する。何を隠そう私がそう(ギフテッドレベルの何かではない。念の為)だったので。

大学というミニチュア社会に出て私は途端に落伍者になった。知能だけではどうにもならないしがらみが私の行く手を阻み、私はそれの倒し方を知らなかった。結果として私は鬱のような症状を呈し、紆余曲折あって発達障害だと診断された。

自分には才能があり、輝かしい将来があるのだと思っていた時分がある。私に才能が本当にあるのかは定かではないが、ひとりきりで、才能だけで世の中を渡り歩くことはおそらく不可能に近い。

才能に溢れていたはずの私は、今は対人スキルのプログラムなどに通う日々である。